9. 本郷・東京大学構内 : ベルツ・スクリバの胸像

Google MyMap  東京大学本郷キャンパス構内銅像案内

♪この1週間ほど少し風邪気味でした。無理をしないで、東大構内へは自転車でなく、地下鉄南北線で向かいました。「駒込」から南北線に乗ると「本駒込」、「東大前」となります。

♪「東大前」といっても、本郷通りと中山道の交差点辺り(農学部の近く)に駅の出入口があり、東大正門からは、随分離れています。医学部には本郷通りを本郷3丁目方向に歩いて正門を過ぎ、赤門から入ると正面が医学部本館になります。

明治後半の赤門(絵葉書)


♪医学部本館の横を通って、医学部中央館(医学図書館)の裏にベルツ・スクリバの胸像があります。新しく建築された病院前のバス通りに面ています。このベルツ・スクリバの胸像がある辺りは、春になると桜が咲き乱れます。

 
 
「ベルツ・スクリバの胸像」前の桜(昭和61年頃撮影)
平成23年12月16日撮影(堀江幸司)
戦前のベルツ・スクリバ像(絵葉書)
 
 
♪東大構内には、ベルツ・スクリバの胸像のほかにも、医史跡が点在していますが、あまり手入れが行き届いていないのが現状のようです。

(平成14年6月2日 記)(平成29年5月30日 訂正・追加)

(平成30年11月29日 絵葉書を追加)

 

ベルツ先生(明治27年写す)(絵葉書)
スクリバ

8. 写真でみる東京大学本郷キャンパス医史跡案内 : 東京医学校本館(時計塔)の場所の移転

Google MyMap 東京大学本郷キャンパス構内案内

Google Photo 東京大学本郷キャンパス写真アルバム

帝国大学赤門(明治40年頃)

 

(1)創立当時の東京医学校本館

東京帝国大学病院(絵葉書)

画面の右手が鉄門、奥がベルツの住んだ教師宅があった本郷台地の崖上の方向です。

 

東京大学医学部

 

(2)赤門横に移築された東京医学校本館(史料編纂所・営繕課として使用)(明治44年解体・移築)

東京帝国大学赤門内際史料編纂掛部(絵葉書)(明治44年移築当時)

本郷通り側から見た赤門。赤門を入って右手に旧東京医学校本館の建物が見える

 

(3)小石川植物園内に移築された東京医学校本館遺構(東京大学総合博物館分館として使用)(昭和44年解体・移築)

小石川植物圓内に移築された東京医学校本館遺構(1980年代)(堀江幸司撮影)

 

 

7.緒方洪庵が通った「安懐堂」と「日習堂」:江戸深川・木場界隈

♪今年(2010)は,緒方洪庵(1810-1863)が誕生して,200年目にあたります。(第1回)昨年は,時代劇ドラマで,洪庵をNHKの「浪花の華 -緒方洪庵事件帳- 」では窪田正孝さんが,TBS系の「JIN -仁-」(第5回)では武田鉄矢さんが,それぞれに演じて,話題になりました。

♪「JIN -仁-」がドラマとして完成度が高かったのは,原作,脚本,演出,配役,カメラ,照明,美術,編集,音楽,時代考証,医療指導(監修)など,どれひとつとっても,丁寧で素晴らしく,とくにドラマの前半部分では,洪庵がドラマの縦糸となって物語を紡いでいたように思えました。仁の過去と未来への思いが,洪庵とのふれあいのなかで,揺れ動き,医療の在り方を考えさせられる社会派ドラマのようにも思えました。

♪華やかな女優陣に囲まれながら,洪庵を演じ切った武田鉄矢さんの演技は,こころに沁み入るものがありました。洪庵という人間像を醸し出していたようにも感じました。

♪仁が髙林寺の洪庵のお墓に向かうシーンも印象深く,記憶にのこりました。幕末のころの駒込髙林寺の周辺は,こんな風な情景設定になるのかと,思わず感心しました。

♪そして,なにより,好きだったのが,音楽。場面毎に流れる音楽も,このドラマを引き立てていました。タイトルバックの音楽よかったですね。MISIAの主題歌「逢いたくていま」も秀逸でした。

♪その洪庵の「若き日の江戸での足跡は?」とのご質問とご意見を「江戸東京」にいただきました。緒方洪庵の専門家ではないので,面喰いましたが,散歩の範囲で調べてみました。

♪若き日の緒方洪庵(1810-1863)1)2)は,天保2年(1831)から天保6年(1835)までの4年間,江戸へ出て,坪井つぼい信道しんどう(1795-1848)の蘭学塾である「安懐堂あんかいどう」と「日習堂にちしゅうどう」で修業します。信道の門に入ったのは,天保2年(1831)2月,22歳のときでした3)

♪「安懐堂」は,文政12年(1829)から天保7年(1836)までの塾名で,場所は深川上木場三好町4)。三好町は,木場の木置場に面した町でした5)。現在の江東区立深川六中学校の辺りかと思われます。周辺には木場公園や親水公園など自然豊かな場所が残されています。

♪洪庵が「安懐堂」時代に訳したローゼの『人身窮理学小解』(じんしん・きゅうりがく・しょうかい)の写本に「天保歳次壬辰十二月訳干安懐堂南窓下」とあります4)

♪信道は,洪庵が江戸へ来た天保2年(1831)に青地林宗(あおち・りんそう)(1775-1833)の長女・粂(クメ)と結婚し,翌天保3年(1832)に深川冬木町に新居を設けます。

♪この深川冬木町に開いたのが「日習堂」。「日習堂」は「安懐堂」の西南500メートル程離れた場所に位置し,仙臺堀の亀かめ久ひさ橋を渡った対岸の地にありました。現在の江東区立深川第二中学校の辺りかと思われます。

♪亀かめ久ひさ橋は,歴史のある橋で,文久2年(1862)の『本所深川絵図』をみると仙台堀に架かっています。小説『鬼平犯科帳』にも登場し,享保11年(1726)には,すでに掛け替えがあった橋のようです。

♪洪庵は,仙臺堀の亀久橋を渡り,「安懐堂」と「日習堂」を行き来して,翻訳や按摩の仕事をし,義眼をつくりながら,蘭学に励んでいたのでしょうか。

亀久橋 橋の遠景に建設途中の「東京スカイツリー」がみえる (平成22年5月16日 堀江幸司撮影)


♪洪庵が青春時代を過ごした現在の
仙台堀川公園の周辺には,ホタルが星降るような自然はありませんが,それでも春には桜が咲く,憩いの場所になっています。

♪仁が,江戸で修業中の洪庵のいる深川木場にタイムスリップ,そして,そこから,洪庵とともに,現在の浅草界隈にでもワープしたら,どのようなストリー展開になるかなどと,勝手な妄想を廻らせています。

♪江戸時代の深川の町並みを再現した「深川江戸資料館」は,現在,改修工事中で,今年(2010)の7月まで,休館しています。

参 考 文 献

1)『緒方洪庵伝』(第2版)(緒方富雄著 岩波書店 1963)

2)『緒方洪庵 ―幕末の医と教え―』(中田雅博著 思文閣出版 2009)

3)『蘭医家坪井の系譜と芳治』(斎藤祥男著 東京布井出版 1い988)

4)「安懐堂と日習堂」(片桐一男)『蘭学資料研究会研究報告』第222回 pp.5-6, 1969.

5)『切絵図・現代図で歩く 江戸東京散歩』(人文社 2002)

(平成22年4月29日 記す)(平成22年6月5日 写真追加)(平成29月5月23日 訂正・追加)

6.足守の思い出:「洪庵緒方先生碑」の碑文

第1回で、緒方洪庵のお墓がある本郷の高林寺(こうりんじ)のことを書いたとき、岡山県足守(あしもり)にある誕生地についても触れました。

参考文献:緒方洪庵誕生地(堀江幸司 文・写真) 医学図書館 33(2) : 204-205, 1986.

♪長崎のことを書くにあたって、古いアルバムなどを繰っていたら、足守へ行ったときの写真も出てきました。そのなかに、「洪庵緒方先生碑」の石碑の裏にある碑文を撮った写真がありました。

「洪庵緒方先生碑」碑陰にある碑文(1986年撮影)


♪「洪庵緒方先生碑」のある場所は、明治のはじめまで、洪庵の兄が住み、大正の末期に岡山県に寄贈された洪庵の本家佐伯氏の旧宅跡だそうです。敷地面積は686平方メートル。敷地の入り口は、傾斜地になっていて、その正面、敷地の中央奥に顕彰碑が、建立されていました。自然石でつくられ、碑陰には、碑文が刻まれていました。

♪「洪庵緒方先生碑」の碑文のことでは、思い出があります。この碑文を書き写すにも、あまりに長文で、なにしろ碑がおおきものですから、高い位置に書いてある文字は、よく見えません。そこで写真に収めておきました。

♪そのころの写真は、デジタルではありませんので、その場で撮影の状態を確認できません。そこで、念のために、近くにあった岡山市立歴史資料館でなにか碑に関する資料がないか、調べてみることにしました。その全文が載った古い手書きの資料を発見しました。やはり、郷土資料は、地元の図書館・資料館を利用するのが一番だと、痛感しました。

緒方洪庵誕生地の近くにある近水園(おみずえん)(1986年撮影)

♪碑文は、岡山県医師会長・藤原鐡太郎氏によるもので、昭和2年(1927)10月に書かれ、碑面の題字は、当時、京都帝國大學総長であった荒木寅三郎の手になるものでした。石の下には、洪庵の臍緒と産毛、および元服のときの遺髪が埋められているそうです。いまから、ちょうど80年前のことです。

♪この昭和2年(1927)という年は、現在の日本医学図書館協会(創立当時は「官立醫科大學附属図書館協議会」といった)が創立された年にもあたります。第1回総会が、新潟醫科大学で開催され、岡山醫科大学からも松田金十郎が出席しています。当時の岡山醫科大学の館長は、生沼曹六教授でした。日本医学図書館協会が、洪庵の碑と同じ年にできたというのも、なにか不思議な縁を感じます。洪庵の曾孫にあたられる緒方富雄先生(東京大学医学部血清学教室教授)が、日本医学図書館協会の第2代会長(1956-1962)となり、協会の発展に尽力されたからです。

♪わたしが足守に行った4年後の平成2年(1990)7月には、洪庵の生誕180周年記念事業として、「ブロンズ座像」が作られ、「洪庵緒方先生碑」に向かって左側に置かれました。敷地内の整備も行われたようです。入り口付近も、わたしが行ったときとは、大分、様子が変わり、傾斜地には、階段がとりつけられているようです。

♪資料のなかで「洪庵緒方先生碑」碑文の項には、碑文の全文が、次のように記録してありました。少し長くなりますが、のちのちのために、引用しておきます。

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洪庵緒方先生碑

(碑陰)

緒方洪庵先生ハ杏林ノ逸材ナリ。文化庚午七年十四日備中足守藩士佐伯氏ニ生レ出テゝ遠祖ノ姓緒方ヲ稱ス。夙ニ醫ニ志シ蘭學ヲ修メ篤學ニシテ卓識ナリ。初メ居ヲ大阪に卜シ刀圭ノ業ニ從フヤ常ニ濟生ヲ念トシ種痘術ノ普及ニ努メ專ラ力ヲ育英ニ注キ書ヲ著シ學ヲ講ス。及門ノ士千ニ上リ名聲大ニ揚ル。後幕府ノ召ス所トナリ居ヲ江戸ニ移シ文久癸亥三年六月十日五十有四歳ニシテ其地に没ス。而シテ先生門下多士儕々啻ニ刀圭ノ術ニ於テ先生ノ衣鉢ヲ傳ヘタルノミナラス或ハ明治維新ノ風雲ヲ叱咤シテ王政復古ノ大業ニ参與シタル者アリ。或ハ日本文化ノ指導ニ任シテ其開發ニ多大ノ貢獻ヲナシタル者アリ。皆共ニ先生感化ノ及フ所ナリ。亦偉大ナラスヤ。今慈先生歿後六十四年吉備郡醫師會發起トナリ有志ヲ四方ニ募リ碑ヲ建テゝ先生誕生ノ地ヲ不朽ニ傳ヘムトス。先生ノ令孫緒方銈次郎氏並ニ本家ノ後嗣佐伯立四郎氏其擧ヲ賛シ佐伯氏故宅ノ跡ヲ讓シ併セテ先生ノ臍緒産毛及ヒ元服ノ遺髪ヲ其碑下ニ埋メシム。此地此碑即是ナリ。京都帝國大學總長荒木博士碑面ニ題シ余其所ヲ以ヲ碑背ニ誌ス。鍜冶山ノ麓足守川ノ邊山紫水明ノ處是レ偉人誕生ノ靈地ナリ。庚幾ハ此地ニ來リ此碑ヲ仰キ先生ノ遺德ヲ賛シ其感化ニ浴セムトスルノ士萬世ニ亘リテ絶エサランコトヲ。

昭和二年十月

岡山縣醫師會長 藤原鐡太郎 謹誌

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♪今日の東京の気温は、33.8度。大変な蒸し暑さでした。外へ出ると呼吸が苦しくなりそうです。洪庵が奥御医師(将軍の侍医)の命を受けて、大坂から江戸へ出ることになるのは、亡くなる前年の文久二年(1862)のことでした。

♪幕府のお召しとはいえ、自身の体調が悪いなか、こんな息苦しい江戸へなど出てくる必要はなかったのではないか。なにか方策はなかったものか。亡くなる前には、足守川のせせらぎの音や、風の音を感じたのではないか。今日の東京の暑さで、わたしに、そんな妄想が沸いてきました。

(平成19年8月5日 記)(平成29年5月23日 訂正・追記)

5.幕末の江戸で活躍する緒方洪庵:TBS 日曜劇場 「JIN -仁ー」

♪TBS系で「JIN ー仁ー」(全11話)という時代劇(ドラマ)が始まりました。

[原 作/村上もとか 脚 本/森下佳子 演 出/平川雄一朗・山室大輔・川嶋龍太郎 プロジュース/石丸彰彦・津留正明  時代考証/山田順子 主題歌/「逢いたくていま」MISIA(アリオラジャパン)

♪原作は、「スーパージャンプ」(集英社)に連載されているコミックだそうです。(全13巻のコミック文庫として完結しています)

♪大学付属病院の優秀な脳外科医である南方仁[みんかた・じん](大沢たかお)は、病にたおれた恋人の未来(中谷美紀)を現代に残したまま、文久2年(1862)の江戸の町にタイムスリップしてしまいます。

♪文久2年(1862)といえば、寺田屋事件や生麦事件が起こった幕末の動乱期。そこで、仁は、大坂から江戸へ幕府の侍医(医学所頭取)となるために出てきていた緒方洪庵(武田鉄矢)と知り合い、江戸で流行していたコロリ(コレラ)に、共に立ち向かうことになります。ドラマの第2話と第3話を見ました。

♪大坂で仕事は終わったとされる洪庵の元気な姿を、江戸の町中に見ることができるのは、SFエンタテインメントのよさであり、楽しいことです。

♪番組のタイトルバックは、現在と昔を対比させ、芝の増上寺、御茶ノ水周辺と思われる場所や、大川の橋や舟などを写し出しています。医療の精神は過去から現在に繋がっていることを表現しているようにも見えます。

♪洪庵のほかに、伊東玄朴や松本良順なども登場します。医史学監修は酒井シヅ先生(順天堂大学・医学部医史学・名誉教授)。医療指導・監修は冨田泰彦先生(杏林大学医学部・医学教育学・講師)。医学ドラマとしても、本格的です。

♪時代考証(山田順子)・歴史監修(大庭邦彦 聖徳大学・人文学部・日本文化学科・教授)も、しっかりしていて、コミックが本格的な時代劇に姿を変え、映像的にも、大変、美しい出来になっています。江戸の町並み、そして、通りの店の前には、箱看板を置くなど、美術にも力を入れているようです。

♪第3話:仁(大沢たかお)は、コロリ患者のために、洪庵に助力を請い、点滴の道具をつくり、治療にあたる決心をします。水に塩と砂糖を配合した点滴液を静脈に入れる。注射針や点滴瓶は、職人につくらせる。患者の救護所の野外設営と救急処置。医療的な設定も、本格的です。

♪仁は、患者を隔離して治療に専念するのですが、その仁自身がコロリに罹ってしまう。仁に好意を寄せる武家の娘である咲さき(綾瀬はるか)は、危篤状態に陥った仁を救おうと、仁に教えてもらっていた点滴の方法を、緒方洪庵が見ている前で、自分の手でやってみることにします。当時の女性としては、大変、勇気のある行動です。大腿静脈から、点滴を入れるシーンでの綾瀬さんの演技は、緊迫感のなかにも、落ち着きが感じられ、感動的でありました。咲の涙が仁の頬に落ち、命の点滴となって、仁を、あの世から呼び戻すことになるのでした。

♪ほかに、女優陣には麻生祐未さん(咲の母親、栄えい)、中谷美紀さん(仁の恋人・未来と花魁・野風[のかぜ]の二役)、男優陣には武田鉄矢さん(緒方洪庵)、小日向文世さん(勝海舟)、内野聖陽さん(坂本竜馬)など、個性的で実力派の俳優がそろっています。

♪次回のドラマの展開(脚本)と、それぞれの俳優の演技、そして、その舞台背景を観るのが楽しみになってきました。

♪心に残る台詞がありました。仁が、過去の時代のなかで、現代的な医療行為を行ない、人を救ってよいのか、歴史を変えてしまうことになるのではないかと、悩み、咲に、その思いをぶつける場面。
仁と咲の、長いセリフの、その一つひとつが生きていて、心に響きます。

:歴史は、おれのやっていることを、帳消しにするかもしれない。なにも変えないかもしれない。

:先生は、わたくしの運命を変えましたよ。脈打つ心の、音を感じます。咲は生きておりますよ。

♪今年のお正月には、NHKでも緒方洪庵をテーマにした「浪花の華―緒方洪庵事件帳―」が放映され、ドラマで、洪庵が注目された年であるようです。来年、平成22年(2010)は、緒方洪庵の生誕200年にあたります。

(平成21年10月30日 記)(平成29年4月9日 追記)

4.緒方洪庵と13人の子供たち

♪緒方洪庵(1810-1863)は、妻八重(1822-1886)との間に、七男六女、13人の子供をもうけました。(第五子、第六子は夭折)

♪洪庵に13人の子供がいたことは、高林寺にある洪庵の墓石(侍醫兼學法眼緒方洪庵之墓)の裏に刻まれている墓誌(茶渓古賀増撰 三澤精確書)のなかにも、記されています。(写真参照

緒方洪庵墓の碑文の一部(平成21年3月 堀江幸司撮影)

「家娶億川氏生六男七女嫡夭次洪哉承後次名四郎其三幼女嫡大槻玄俊次配養子拙齋」

「侍醫兼督學法眼緒方洪庵之墓」墓誌全文(緒方富雄著 「中外醫事新報」1239号別刷 昭和12年1月28日発行)

♪洪庵の没後、家長となったのが、次男の惟準(これよし)(1843-1909)。今年、平成21年(2009)は、惟準の没後、100年にあたります。

緒方惟準 (出典:『医譚』第17号:pp.45-66. 1944.)

♪緒方家の家系図については、『故大熊房太郎先生寄贈図書目録』(聖マリアンナ医科大学附属図書館、1983)のなかに『緒方氏系図』(緒方富雄編、1966)があり、一度、実見したいと思っていましたが、実現できないままになっています。(国立国会図書館にも所蔵があるようです)

♪西岡まさ子氏の小説『緒方洪庵の息子たち』(河出書房新社、1992)は、洪庵没後の息子たちの足跡を追って、豊富な資料と取材に基づき、描かれています。また、西岡まさ子氏には、洪庵の妻(八重)を描いた『緒方洪庵の妻』(河出書房新社、1988)という小説もあり、こちらも、史実に基づいて、丹念に書かれています。

♪この2册の歴史小説は、緒方富雄先生が著された『緒方洪庵傳』(初版)『緒方洪庵伝』(第2版)とともに、洪庵を知るための、貴重な資料となっています。

♪『緒方洪庵の息子たち』の巻末に参考文献として『緒方氏系図』の記載があり、「緒方家・億川家系図」が収録されていました。

♪この「緒方家・億川家系図」と『緒方洪庵伝』(第2版)の巻末の年表から、洪庵の子供たちの名前と生誕年月日の一覧を作成してみました。

緒方家家系図

参考文献

1)『緒方洪庵傳』(初版)(緒方富雄著 岩波書店 1942)

2)『緒方洪庵伝』(第2版)(緒方富雄著 岩波書店 1963)

3)『医の系譜 緒方家五代 洪庵・惟準・銈次郎・淳一・惟之』(緒方惟之著 燃焼社 2007)

3. 緒方洪庵墓:高林寺内の移転と甕棺

 

♪現在、緒方洪庵の墓は、高林寺(こうりんじ)(東京都文京区向丘2丁目37番5号)の本堂に向かって左側に広がる墓地の中央部分に位置しています。(関連連載第1回)

♪洪庵の墓所は、以前から、この場所にあったのではありません。埋葬当初(文久3年[1863]6月22日)は、寺門に近い水はけの悪い場所にありました。

♪昭和11年(1936)、高林寺(当時の住所は東京市本郷区駒込蓬莱町68番地)に隣接する道路が拡幅されることになり、それに伴い洪庵の墓も、高林寺内の別の場所に移転することになりました。

♪墓の掘り起こしと移転作業が、高林寺住職、府当局、親戚一同立会いの下、6月22日の午前9時から行われました。洪庵の歿後、73年目のことです。昭和11年(1936)といえば、二・二六事件が起こり、世情が不安定な時代でした。

♪洪庵の墓の移転については、洪庵の曾孫にあたる緒方富雄先生(日本医学図書館協会第2代会長)が『中外醫事新報』(第1239号)(1937年)の中で、詳しく記述されています。

♪その記録の中には、高林寺内の洪庵墓の旧墓所と新墓所の全景写真とともに、洪庵の遺骸が納められた甕の写真も載っていました。土中から掘り出された甕棺と思われます。大変、貴重な記録写真ですので、転載しておきます。

第1図 洪庵の遺骸を納めた甕

 

第2図 甕を新墓所に納めたところ(写真の右方が前面に当る)

 

第3図 旧墓所 向って右洪庵墓、左洪庵夫人墓、中央後追賁碑

 

第4図 新墓所 向って右洪庵墓、左洪庵夫人墓、右端追賁碑、これと洪庵との間の後に重三郎墓が見えている

(図の説明文は、緒方富雄先生の文献のまま。また、現在の墓所の写真は、連載第1回に掲載してあります)

緒方洪庵墓 (平成20年6月15日撮影)

 

♪洪庵が納められた甕は、地下七尺のところからあらわれ、水を含んだ泥土で充ちていたとのこと。遊離した一枚の肩胛骨や、脊椎の上端、左右数本の肋骨、大腿骨の一部が見えたとのことです。

♪甕の掘り出しに立会った親族の中には、「この機会に遺骨を清掃して納め直したらどうか」との意見もあったようですが、洪庵の第十二子である緒方収二郎氏の意見に従って、甕の中には手をつけず、そのままの形で新墓所に埋葬されることになったとのことです。

♪緒方収二郎氏は、昭和3年(1928)5月27日に、岡山市足守で行われた「洪庵緒方先生碑」の除幕式にも、緒方銈次郎氏とともに、遺族総代として参加しています。

♪甕の大きさは直径一尺九寸、内径一尺五寸五分、高さ約二尺五寸。暗褐色の焼色。この中に仏様になった洪庵が納められ埋葬されました。

♪月日は流れ、今年、平成21年(2009)は、墓所移転の時から、また、73年目の年となりました。そして、来年、平成22年(2010)は洪庵の生誕200年、4年後の平成25年(2013)は、洪庵の歿後、150年の節目の年となります。

♪高林寺の緒方洪庵墓は、江戸からの時の流れを、確実に、今に伝える史跡のひとつとなっています。

 

参考文献

1)緒方富雄:緒方洪庵墓の移轉 『中外醫事新報』(第1239号)(1937年)pp.10-17.

2)堀江幸司:緒方洪庵誕生地 『医学図書館』33(2):204-205,1986.
(平成21年2月7日 記)

駒込市場(原稿付図)(昭和7年頃作成されたもの)

(明治34年9月(市場取締規則制定)、本郷浅嘉町の岩槻街道の両側にあった駒込市場(土物店駒込辻の市場)(やっちゃば)が、高林寺寺中に移転したことを示す略図)

この駒込市場が、中央卸売市場豊島分場(現・東京都中央卸売市場豊島市場)として、巣鴨の地に移転したのが、高林寺内で緒方洪庵の墓の移転が行われた翌年の昭和12年3月のことでした。

(平成31年3月19日 追加)

2. 緒方洪庵と岡節斎の碑

場 所:東京都文京区本駒込1丁目(高林寺)

交 通:地下鉄・南北線(本駒込下車)

Google My Map:本郷界隈:医史跡案内

参考文献:本郷・駒籠髙林寺:緒方洪庵追賁碑と節齋岡先生碑 堀江幸司 『医学図書館』

 

♪緒方洪庵の墓域には、中央に「侍醫兼督學法眼緒方洪庵之墓」、左に「緒方洪庵先生夫人億川氏之墓」の墓碑があり、右に「追賁碑」が建っています。また、墓域の左手の隅に、「緒方洪庵」の説明板(石板)(連載第1回 写真参照)が置かれています。

駒込高林寺・緒方洪庵の墓域

♪「追賁碑」の碑文は、明治42年(1909)6月8日に、森林太郎(鴎外)によって書かれたもので、明治45年(1912)7月10日に建立されています。その50回忌には、万延元年(1860)大坂の適塾に学んだ今村有隣(蘭学者・フランス語学者 1844-1924)も参会しています。今村有隣の墓は、染井霊園にあります。水原秋桜子の墓の近くです。

参考:Google My Map : 東京都染井霊園:医家墓所案内

追賁碑(森鴎外撰文)(明治42年)

追賁碑(森鴎外撰文)(明治42年)

♪「侍醫兼督學法眼緒方洪庵之墓」の墓碑は、慶應3年(1867)3月に建てられました。その墓石を刻んだのが、谷中の石屋(御碑銘彫刻師)であった廣瀬群鶴(ひろせ・ぐんかく)(号は廣群鶴 こう・ぐんかく)です。

♪この廣群鶴は、同じく高林寺にある岡節斎(侍医 明和元年<1764>-弘化5年<1848>)の碑(節斎岡先生碑)も刻んでいます。明治12年(1879)に建てられた碑は、墓道を挟んで、緒方洪庵の墓の反対側にあります。碑文の中に「駒籠里高林寺」の文字も見えます。

節斎岡先生碑(中央の低い碑)(1993年 撮影)

節斎岡先生碑(1993年3月撮影)

節斎岡先生碑(1993年3月撮影)

節斎岡先生碑(1993年3月 撮影)

岡節斎は、岡麓(おか・ふもと 1877-1951 アララギの歌人)の先祖で、幕府医官であった岡家歴代の墓碑が、墓地の右手の一番奥まった所に、まとめられています。数が多いので、墓域は、ちょっと窮屈な感じもしました。

岡家歴代の墓(1993年7月 撮影)

♪岡麓は、明治32年(1899)、本郷金助町(現在の文京区本郷3丁目12、13番あたり)に家を新築した際に正岡子規を招いています。子規庵歌会(根岸短歌会)に参加してのことでした。

♪高林寺墓地には、蘭学と漢方の大家が同居していることになります。墓地の上は遮るものがありません。雲の浮かぶ青い空を見ていると、なにか東洋的な時間の流れを感じます。

(平成14年7月7日 記)

 

1. 緒方洪庵の墓

場 所:東京都文京区本駒込1丁目(高林寺)

交 通:地下鉄・南北線(本駒込下車)

Google My Map:本郷界隈:医史跡案内

高林寺門(1993年3月28日 撮影)

緒方洪庵の墓域(1993年3月28日 撮影)

♪図書館情報サービス研究大会(現・医学情報サービス研究大会)の第2回大会(大阪・1985)で野村謙さん(当時・神奈川歯科大学)が、シソーラス研究会(代表・板橋瑞夫氏)を代表して発表された折り、その帰りに皆で適塾に寄った記憶があります。もう17年も前のことになります。

♪当時、わたしは日本医学図書館協会の歴史に興味があり研究大会が全国で開催される折りに、各地の医学図書館を訪ねて古い写真などをお借りしたり、医史跡を探訪したりしていました。倉敷で研究会が開催された時には、足守にある緒方洪庵の生誕地を取材し、長崎の大村市にまで足をのばして、長與専斎の史跡を回ったりしたこともありました。今思うと、重いビデオカメラなどを担いで、よく歩いたものだと思います。

参考文献:「緒方洪庵誕生地」(堀江幸司 文・写真 『医学図書館』33(2):204-205, 1986)

岡山県足守の緒方洪庵誕生地に建つ「洪庵緒方先生碑」

岡山県足守の緒方洪庵誕生地の案内板

♪先日のシソーラス研究会の懇親会の席で、野村さんから、シソーラス研究会のHP「医学用語を歩く」のコンテンツのひとつとして「堀江さんの医史学のエッセイも面白いのではないか」という言葉を本気にして、自宅の近くの医史跡を探訪して、少しずつ文章にまとめていこうと思いました。「江戸東京医史学散歩」のはじまりです。

その第1回として、緒方洪庵の墓を取り上げます。

「故緒方洪庵氏」(『醫師寫眞帖』の巻頭口絵)

出典『醫師寫真帖』〔醫事衛生研究會発行 杉 謙二編 明治42年〕

♪わたしの自宅は、駒込にあります。六義園の近くです。高林寺には自転車で行くことにしました。本郷通りを東京大学本郷キャンパス方面へ向かうと左側に駒込吉祥寺があります。ここには、佐藤進(東京大学医学部講師兼院長 順天堂医院長 大正10年7月25日没)の墓があります。吉祥寺には、ほかにも著名人の墓がありますので、別の機会に取り上げます。

「東都駒込邊絵圖」(堀江幸司蔵)

♪吉祥寺を過ぎ、しばらく行くと本駒込1丁目の交差点(駒本小学校前)にでます。この交差点を左折して、すぐ右側に高林寺はあります。駒本小学校の隣になります。高林寺は数年前に建て替えられ、木造で趣のある昔の面影はなくなりました。墓地は昔のままですが、一部整備されて新規墓地として売り出していました。緒方洪庵と同じお寺にお墓があったらどんな気持ちだろうと思ったりしました。

♪緒方洪庵の墓は、すこし奥まったところにあります。さすがによく整備されています。墓域の配置などについては次回、少し詳しく述べます。

♪高林寺をでて、本駒込1丁目交差点(駒本小学校前)の交番横の路地を白山上に抜け、右折すると東洋大学前です。この通りには、以前は都電が走っていました。子供の頃、この都電に乗って神田神保町方面へ、また、駒込駅前を通る都電で日本橋の三越に行ったりしました。しばらくこないうちに東洋大学は、立派な校舎になっていてアプローチの木立の若葉が素敵でした。

♪東洋大学前から路地を通って、旧理化学研究所跡に建つ「文京グリーンコート」にでました。日本医師会館の隣です。この辺りには買い物でよくくるのですが、一部昔の木立が残されていて、可憐なランが咲いているのにはじめて気付きました。ところで、緒方富雄先生の発案で日本医学図書館協会の総会の毎に各地の医学図書館に移植された適塾蘭はどうなっているのでしょうか。もう適塾蘭のことなど知る人も少なくなっているのかもしれません。

緒方洪庵墓域

墓域の左手に置かれた石碑

 

(平成14年4月29日[初稿日] 記す)

★★★

♪昨日、平成20年6月14日(土)の朝、午前8時43分に「岩手・宮城内陸地震」が発生。東京でも、船酔いを起こしたような揺れを感じました。どこかで、地震があったのではないか。テレビをつけてみると、すでに、大地震の発生が、速報で、流されていました。

♪宮城県栗原市周辺の山々(くりこま高原)では、広範囲に斜面崩壊や土石流が起こり、山が動き、割れた様子は、地球内部の地殻変動の激しさを現しているようです。

♪墓地の墓石が倒れている様子も報じられていました。もうすぐ、お盆の季節ですが、倒壊した墓石の前で、先祖を思い、泣き崩れている婦人の姿が印象的でした。

♪久しぶりに、緒方洪庵のお墓のある髙林寺を詣でてみようと思い、「駒込駅」から南北線に乗りました。南北線は、いつも、通勤に利用しているので、通勤定期券を使い「本駒込駅」で下車。地上へのエレベータに乗ると、そこが、本郷通りの駒本小学校前交差点で、髙林寺のすぐ傍にでました。

♪今回、髙林寺にきたのは、平成5年3月28日に撮影した髙林寺の門前の様子が、現在、どうのように変化しているか、記録しておきたいと思ったからです。

♪本堂とともに、門の周辺も改築され、墓地の敷地内も、一部、区画整備がされており、新規墓地売り出しの案内が置いてあります。

改装された高林寺門(平成20年6月20日 撮影)

♪緒方洪庵のお墓、節齋岡先生碑、岡麓のお墓は、昔の位置にあり、ちょっと、ほっとしました。

画面中央の低い石碑が「節斎岡先生碑」

♪緒方洪庵の墓前には、ユリの花が供えられ、空には、梅雨の晴れ間の青空も見えて、天空とのつながりを感じる時間を過ごすことができました。

緒方洪庵墓 (平成20年6月15日撮影)

(平成20年6月15日 本文・写真追加)

★★★

♪平成21年(2009)1月10日(土)(午後7時30分)よりNHK土曜時代劇「浪花の華~緒方洪庵事件帳」の放送が開始されています。(全9回)(緒方章[のちの洪庵]:窪田正孝、 男装の麗人・左近:栗山千明)

♪この時代劇に合せるように、NHK番組「その時歴史が動いた」(1月21日(水) 午後10:00)で、平成19年(2007)11月28日(水)に放送された「緒方洪庵・天然痘との闘い」の再放送がありました。

♪この番組の最後で、大阪の龍海寺(大阪府大阪市北区)にある「緒方洪庵の墓」が紹介されていました。墓石(「洪庵緒方先生之墓」)の映像とともに、松平定知キャスターのナレーションが流れます。

(ナレーションの一部)
「大阪の繁華街の一角にある寺。緒方洪庵の墓は、彼が愛したこの町で、彼を慕った人々の手で建てられました。」

♪洪庵は、文久3年(1863)6月10日、江戸下谷御徒町医学所頭取屋敷で突然の大喀血により急逝。(享年五十四)。伊東玄朴(1800-1871)らの勧めで、奥醫師・西洋醫學所頭取となるため、大坂から江戸へ出てから、10カ月後のことでした1)2)。

♪伊東玄朴、福沢諭吉、村田蔵六(のちの大村益次郎)ら先輩、門人30-50名によって通夜が営まれ3)、遺体は、6月12日の早朝より甕に納められて、本郷駒込高林寺に埋葬されることになります。そして、遺髪が、大坂の龍海寺に葬られたのでした。

♪司馬遼太郎氏も著書『本郷界隈』(街道をゆく)4)のなかで、洪庵の墓についてふれ、次ぎのように書かれています。

「洪庵の主題は大坂でおわっていて、江戸ゆきはむだだった。ただ奥御医師としての墓碑だけが残った。」

♪大阪大学医学部の源流である「適塾」を創設した洪庵が、あまり丈夫でない身体をおして、江戸に出てくれたお陰で、西洋醫學所(現在の東京大学医学部のはじまり)も実現できたのではないのか。江戸と大坂に「緒方洪庵の墓」があることが、蘭学者・医学者・教育者としての偉大さを示しているのではないか。本郷駒込高林寺の「侍醫兼督學法眼緒方洪庵之墓」の墓碑の前に立つと、そんな思いが、身体のなかに湧いてくるのを感じます。

参考文献

1)『緒方洪庵伝 第2版』 緒方富雄著 岩波書店 1963.
2)『伊東玄朴傳』(伊東 榮著 玄文社 大正5年発行の復刻版) 八潮書店 1978.
3)『福翁自伝』(新訂) 福沢諭吉著 富田正文校訂 岩波書店 2008(第58刷改版発行)(岩波文庫33-102-2)
4)『本郷界隈』(街道をゆく 37) 司馬遼太郎著 朝日新聞社 1992.

(平成21年1月26日 追記)(平成29年3月4日 訂正・追記)