126.「廃兵院」跡:豊島区立巣鴨公園

傷兵院(廃兵院)跡石碑

「傷兵院舊址」

護れ傷兵 忘るな武勲
陸軍大将男爵本庄繁書

場 所:豊島区北大塚1-12-10(東京都豊島区立巣鴨公園内)
周辺地図

北豊島郡巣鴨町・巣鴨村全図(明治44年)

🌲巣鴨地蔵通商店街入口にある真性寺(江戸六地蔵)横の道は、JR大塚駅方面への抜け道になっています。池袋に出るにも、この道が便利ですが、狭い道の対面交通ですので、車の運転には気をつけなければなりません。「巣鴨図書館入口」の交差点を過ぎると、次ぎの交差点が「巣鴨公園前」で、ここから大塚駅前の大通りまでが下りの坂道になります。

巣鴨公園前交差点

 

🌲巣鴨公園の辺りに、「廃兵院」がありました。公園の中に記念碑が建っています。

 

廃兵院記念碑(巣鴨公園内)

 

🌲「廃兵院」は、日露戦争(明治37-38年)の傷病者(廃兵)の救護のためにつくられた施設で、明治40年(1907)廃兵院法(明治39年4月法律第29号)に基づき東京予備病院渋谷分院の一画に設置され、明治41年(1908)巣鴨の宍戸子爵邸跡(松平播磨守・下屋敷跡 )に移されました。

 

「二百人収容のところ開設時の入院者は十二人。廃兵院の設立が知れ渡っていなかったこと、また地方の役人が入院者を出すのは不名誉であると隠したからだともいわれています。」

「図書室、温室、運動場、大弓場などがあり、希望に応じて学術、刺繍、裁縫、彫刻、焼き物などが習得できたそうです。」

🌲「廃兵院」の場所を調べるために、淳久堂書店に行って、明治44年(1911)に逓信協會が発行した『東京府北豊嶋郡巣鴨町巣鴨村』の地図を入手してきました。それによると、「廃兵院」の番地は巣鴨町大字巣鴨1267-1286, 1290となっていました。現在の巣鴨公園の辺り一帯からJR山手線の際(巣鴨警察署辺り)までが「廃兵院」の敷地となっており、相当の広さだったことがわかりました。

🌲「廃兵院」の園内には、芝山や池のほか楓などの大木があり鬱蒼としていて、春には桜が咲き乱れ、秋の紅葉は燃えるようであったといいます。いまの大塚駅付近の雑然とした繁華街からは想像もつかない風景が広がっていたようです。

廃兵院(松乃平)(絵葉書・堀江幸司所蔵)

 

🌲「廃兵院」は昭和9年(1934)「傷兵院」と改称され、11年(1936)神奈川県足柄下郡大窪村大字風祭(現在の小田原市風祭)に移転し、傷痍軍人国立箱根療養所となり、現在は、国立病院機構箱根病院となっています。

国立病院機構箱根病院:
〔平成16年(2004)、国立療養所箱根病院は、組織変更し、国立病院機構箱根病院となった。〕

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名称の変遷

明治40年(1907) 東京予備病院渋谷分院の一角に廃兵院設置(陸軍省)

明治41年(1908) 巣鴨に移転

大正12年(1923) 陸軍省から内務省に移管

昭和9年(1934) 廃兵院を傷兵院に改称

昭和11年(1936) 神奈川県足柄下郡大窪村大字風祭(現・小田原市風祭)に移転

昭和20年(1945) 国立箱根療養所と改称

昭和50年(1975) 国立療養所箱根病院と改称

平成16年(2004) 独立行政法人国立病院機構箱根病院の組織変更

 

(文 献)
1)『北豊島郡巣鴨町・巣鴨村全図(復刻東京市十五区・近傍34町村 27)』(人文社)

2)『としま区いちにっさんぽ(豊島区郷土すごろくガイド)』(豊島区親子読書連絡会 2002)

3)「巣鴨乃むかし」(第1集)(巣鴨の歴史を語り合う会編 平成元年5月発行)

(平成14年9月11日 記)(令和5年4月16日 追記)

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