97. 駒込林町:三上参次邸宅跡(2):御林稲荷社:「忠魂碑」

♪宇野彰男さんから三上参次が関係した石碑が文京区千駄木5丁目(旧駒込林町)の近くの公園(御林稲荷社)(駒込天祖神社の飛地境内)にあるとお聞きしたので、確認に行ってみることにしました。

場所:御林稲荷社(文京区千駄木5-6-13)

♪ナップザックにデジカメ、メモ帳、水筒などの取材道具を入れ、自転車で向かうことにしました。冬の風が、少し冷たく感じられましたが、よく晴れ渡って絶好のサイクリング日和となりました。

♪本郷通りの富士神社入口交差点を都立駒込病院の方向へ進むと、動坂上交差点にでます。交差点を渡ると一方通行の出口があります。この道が本郷保健所通りです。文京区立千駄木小学校、文京区立千駄木幼稚園、文京区立文林中学校、文京保健所本郷保健サービスセンター、文京区立特別養護老人ホーム千駄木の郷・千駄木高齢者在宅サービスセンター・千駄木在宅介護支援センターと続きます。

♪保健所の手前に高村光太郎旧居跡(文京区千駄木5-22-8)があり、説明版が建てられていました。光太郎・智恵子については、後日、調べることとして、そのまま道なりに進みました。

♪団子坂上交差点にでました。この交差点を渡って、まっすぐに続く道が、森鴎外の薮下通り(薮下道)です。観潮楼址(文京区立鴎外記念本郷図書館)(注1)は、この薮下の道の入口にあります。薮下の道は日本医科大学・根津神社裏門方面に繋がっています。

注1)本郷図書館の移転に伴い併設されていた「鷗外記念室」は「森鴎外記念館」として独立することとなり駒込大観音通り側に移転しています。(2012.11.1開館)

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文京区立本郷図書館の並びに島薗邸(登録有形文化財)(矢部又吉設計)があります。昭和7年(1932)、島薗順次郎(東京帝国大学医学部内科教授)の長男・島薗順雄(新潟大学医学部教授・東京大学医学部教授・東京医科大学教授)(生化学)の結婚にあたって建てられた和洋折衷の住宅です。設計は、矢部又吉により、ドイツ風の意匠が施されました。島薗順次郎の家は、この島薗順雄の家から、徒歩10分のところにあったとのことです。島薗順雄の妻は、三宅秀の長男・三宅鑛一(東京府立松澤病院長)の三女・昭子です。(注2)

♪西岡 暁先生(吉祥寺病院)によると、島薗邸は、「戦後の一時期「林町内科医院」となって駒込林町21番地に住んでいた宮本百合子が患者として来院」していたそうです。

三宅家家系図(出典:「桔梗 -三宅秀とその周辺ー」福田雅代編纂 昭和60年)

注2)島薗順雄・昭子の没後、島薗邸は、たてもの応援団によって維持・管理されてきましたが、その一部を売却することになったとのことです。

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♪団子坂を下って不忍通りにでると谷中霊園へ通じる三崎坂(さんさきざか)になりますが、今回は、坂を下らずに不忍通りを背にして、大観音通りの商店街を本郷通りの向丘二丁目交差点方面に向かって進みました。

♪三上参次によると、幕末から明治のはじめまで、この辺り(駒込御林跡地)の表通りから林への入口には黒木の総門があって、「無用の者入るべからず」との榜示があったといいます。

三上参次が住んだ旧駒込林町(現・文京区千駄木5丁目13番地)

♪ちょうど、前回紹介したコースと逆方向から、駒込学園横の鉤の手になった路地の突き当たりにある御林稲荷社に着きました。

♪宇野彰男さんからのメールに、平成11年(1999)に宇野さんご自身が撮影された石碑の写真が添付されていましたので、石碑はすぐわかりました。境内に入って右手に建てられていました。

♪実は、前回、この辺りを訪ねた時も、この御林稲荷社の境内に入ったのですが、その時は三上参次が書いた碑文ばかりを探していて、この石碑の発起人には気がつかないでいました。

♪石碑の表に「忠魂碑」とあります。裏にまわってみました。石碑は塀の際に建てられているので、身体を塀と石碑に挟むようにして、台座に近い部分に刻まれていた発起人の名前を確認しました。

♪この石碑は、昭和7年(1932)7月29日「故陸軍砲兵大尉土井浩君之霊・故海軍三等兵曹奥田吉丸君之霊」のために、当時の林町町会が中心となって建立されたもののようです。発起人の最後に三上参次(林町町会顧問)の名前をみつけることができました。

♪御林稲荷社の入口に文京区が建てた旧町名案内(旧駒込林町)の案内版が建てられていました。千駄木山に位置した駒込林町の縁由などが、簡潔に書かれています。

♪三上参次も駒込千駄木林町の歴史について、雑誌『歴史地理』のなかで林町に邸宅を構えたいきさつなどとともに詳しく記しています。貴重な記録だと思いますので、次回以降に全文を紹介しておきます。

(平成15年1月26日 記)(令和2年[2020]6月7日 追記)