80. 「新東京・醫學きまぐれ散歩」(2)(「日本医事新報」 No.1446-No.1462)

(承前)

♪今回は、前回に引き続き「新東京・醫學きまぐれ散歩」のうち、第1446号から第1461号の記事を紹介します。著者のS.M.氏は、神田・御茶ノ水界隈を散歩しています。

明治30年代当時の神田駿河台周辺略図(堀江作成)
眼鏡橋(元万世橋もとよろづよばし)(右側の橋)を中心とした鳥瞰図(明治32年)(地図参照)−右上にニコライ堂がみえる−

♪なお、一覧表(PDF)は、連載記事のはじめから最後までを収録しています。書誌的事項のほかに、記事にあらわれる登場人物なども、項目として入れてみました。ご参考になれば幸いです。

図をクリックすると、大きな画像がみられます。

  新東京・医学きまぐれ散歩(PDF)

神田川に架かる御茶ノ水橋とニコライ堂(橋の左が本郷台、右が駿河台)

♪本郷台地と駿河台は,神田川で分断され橋で繋がっています。御茶ノ水橋と聖橋です。神田駿河台周辺には,江戸時代,武家屋敷・旗本屋敷が多くあったのですが,明治中期以降になると,東京帝國大學出身者によって開業された専門醫院が立ち並ぶ病院町となっていました。武士の町が,医者の町となったのです。本郷には,医学校の病院が多かったのに対して,駿河台には私立病院が多くありました。

♪眼科(井上眼科病院[井上達也]),東京耳鼻咽喉科医院(金杉病院[金杉英五郎]),産婦人科(濱田病院[濱田玄達]),内科(杏雲堂醫院[佐々木東洋]),小児科(瀬川小児病院[瀬川昌耆])などの病院とともに,医家の邸宅も数多くありました。S.M.氏は,戦後の焼け野原となった病院町の様子や風景を記録しています。

最初の金杉病院(明治29年建設 神田區南甲賀町)
産婦人科濱田病院正門
杏雲堂醫院表門
瀬川小児病院
瀬川小児病院

♪聖橋からの眺望や,御茶ノ水橋から水道橋に向かって下るサイカチ坂から見た風景を次ぎのように描写しています。

「お茶の水橋からの四周の眺めは美しい。だが,聖橋の上に立つと一層美しい。前後にニコライ堂と湯島聖堂とを控え,眼下に川筋の上下を眺める風景は東京第一だ。殊に夏の夕方は涼風袖を払うというやつで,納涼地としても第一だろう。」

「日本医師会館を出ると横町を隔てて木立も豊かな広い空地をもつ音楽学校の分校からピアノの音が聞えたりする。その前が,フランスの別荘風だとかいう日仏協会。行く手には震災前までサイカチの木が残っていたというサイカチ坂が,水道橋駅に向って下り,右側には家が絶えお茶の水川を隔てて本郷元町の小公園から都立工藝學校,続いて後楽園球場から小石川の台地を展望するという風景が開ける。」(S.M.)

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♪この駿河台周辺を,昭和60年代に,重いカメラを何台もぶら下げて歩いたことがありました。神田美土代町の東京基督教青年会館のなかにあった「日本医学図書館」について調べていたころのことです。もう,25年も前のことになります。ニコライ堂(東京復活大聖堂)の近くに,井上眼科病院の新しいビルが建ったころのことです。紅梅坂や幽霊坂を上ったり下りたりして,写真を撮りました。夏の暑い日のことでした。蝉の鳴き声が聞こえていました。

1980年代の紅葉坂(堀江幸司撮影)

♪そのとき撮った駿河台周辺の写真のネガが,まだ,アルバムのなかで,たくさん眠っています。S.M氏が見た30年後の駿河台附近の病院の姿が写っています。この機会に,デジタル化して,記録に残しておきたいと思います。

(平成23年6月30日 記す)(令和元年[2019]10月26日 追記)

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(前号からの続き)

(12) 日本医事新報(1446)(昭和27年1月12日)

學者街の西片町新舊風景杉田直樹、山極勝三郎
  片山國嘉、榊俶、吾妻
  勝剛
 在住の大家連名倉英二、石井吉太郎
  石川正臣、加藤義夫
  坂本恒雄、都築正男
  前田武雄、太田正雄
  小原辰三、青柳登一
  村山達三、平松濤平
  横尾安夫、栗山重信
  鹽谷卓爾、佐々廉平
 富士川邸跡富士川游

(1447号には連載なし)

(13) 日本医事新報(1448)(昭和27年1月26日)

日本醫科大學敷地の現状中原徳太郎、塩田廣重
 ワン・マンの精力塩田廣重
 復興計畫 

(14) 日本医事新報(1449)(昭和27年2月2日)

根津権現界隈彌生町邊り
神泉病院跡
 
 東京府立病院跡 
 千駄木町 

(15) 日本医事新報(1450)(昭和27年2月9日)

觀潮樓跡・曙町・洪庵墓森鴎外史蹟 
 駒込曙町 
 洪庵先生の墓緒方洪庵

(16) 日本医事新報(1451)(昭和27年2月16日)

動坂と駕籠町駒込病院宮本叔、入澤達吉、青山胤通、
  北里柴三郎、緒方規雄、橋本節齋、
  二木謙三、村山達三、高木逸麿、
  内山圭梧、後藤新平
 駕籠町焼跡棟方定次、平野啓司、宮川米次、
  入澤達吉、白木政博、三澤敬義、
  佐藤三吉
 巣鴨病院跡長谷川泰、榊俶、三宅秀、
  呉秀三、三宅鑛一、澁澤榮一
   
 栄研の跡[厚生大臣官房統計調査部]



東京府巣鴨病院

(17) 日本医事新報(1452)(昭和27年2月23日)

文京西部一巡り丸山町の焼跡 
   
   
   
 大塚公園の中 
 東大分院 
東京市養育院(大塚本院)正面

(18) 日本医事新報(1453)(昭和27年3月1日)

二名家の跡を訪ねる三宅家の跡三宅艮斎
 小池家の跡小池正直

(19) 日本医事新報(1454)(昭和27年3月8日)

醫業中心駿河台(1)日醫通りの入口 
 三樂と日醫 
三楽病院外観(絵葉書)
三楽病院病室・待合室(絵葉書)

(20) 日本医事新報(1455)(昭和27年3月15日)

醫業中心駿河台(2)日醫副會長を訪う 
 稲田博士邸 
 呉博士邸 
 濱田病院濱田玄達

(21) 日本医事新報(1456)(昭和27年3月22日)

醫業中心駿河台(3)前田眼科跡 
 三浦邸前にて 
 佐々木邸の邊り 
 延壽堂と山龍堂 
 佐野神経科醫院 

(22) 日本医事新報(1457)(昭和27年3月29日)

醫業中心駿河台(4)金杉病院跡 
 近藤病院跡 
 日本大學病院 
 杏雲堂と研究所 

金杉英五郎(東京耳鼻咽喉科病院・金杉病院院長)
金杉病院(金杉英五郎院長)
杏雲堂醫院表門
杏雲堂醫院胃腸科
杏雲堂醫院病室之一部
駿河台日本大学病院(絵葉書)

(23) 日本医事新報(1458)(昭和27年4月5日)

醫業中心駿河台(5)瀬川小児科病院 
 井上眼科病院 
 體協と保健所 
 名倉外科病院 
 阿久津病院 
 同和病院 
瀬川小児病院

(24) 日本医事新報(1459)(昭和27年4月12日)

聖堂から和泉町(1)湯島聖堂 
 途上の道草 
 練塀町界隈 

(25) 日本医事新報(1460)(昭和27年4月19日)

聖堂から和泉町(2)三井病院跡 
 舊幕の醫學所 
 お玉が池 

(26) 日本医事新報(1461)(昭和27年4月26日)

神田の南西部(1)宮本小児科の跡 
 杉本胃腸病院の跡 

(27) 日本医事新報(1462)(昭和27年5月3日)

神田の南西部(2)藁科松伯のこと 
 神保町附近 
 三崎町界隈 
 東亜醫學校 
神田神保町通り

(令和元年[2019]10月26日 追記)