77. 木下杢太郎・兄太田圓三と永代橋・両國橋(2)

 
♪木下杢太郎は,永代橋畔の「永代亭」や両國橋畔の西洋料理屋で,北原白秋,谷崎潤一郎,石川啄木,高村光太郎などと「パンの會」の催しを持ちました。「パン」(Pan)とは,ギリシャ神話の「アルカディアの森や山に住む牧羊や羊飼いたちの守護神」(歌舞音曲に秀でた神)のことです。

  『パンの會の回想』 (木下杢太郎)[青空文庫]

♪このパン(Pan)は「養育するもの,牧するもの」という意味を持ち,食べるパン(Bread)と同義で,パニック(Panic)という言葉の起源でもあったそうです。

♪両國橋畔で行われた「パンの會」は,社会主義者の集会と間違われたことがありました。明治42年(1909)5月25日付けの『讀賣新聞』は次のように報じています。

警視庁ではパンの會と云うのに,希臘(ギリシャ)時代からの故事があろうなどと,そんな風流な処には気が着かぬから,パンの會と云えばこれやてっきり社会主義者の会合に違いないと,飛んだ処へ早合点をまわして,開会当日の朝から会場の近辺へ角袖巡査を派すこと約五十名,万一不穏な弁論や形勢があればと,用意周到に固めていた。さて会員等はそんなこととは夢にも知らず,上田敏氏の仏国文学論などいろいろ芸術談に花の咲いた後,宴が崩れて来ると鯨飲乱舞,随分騒ぎ立てていい頃に散会した。

♪『食後の歌』(明治四十三年)のなかで,両國橋の錦絵的な江戸情調を「両國」と題して,木下杢太郎は,次ぎのように詠んでいます。

両 國

   両國の橋の下へかかりや
   大船は檣を倒すよ,
   やあれそれ船頭が懸聲をするよ。
   五月五日のしつとりと
   肌に冷き河の風,
   四ツ目から来る早船の緩かな艪拍子や,
   牡丹を染めた袢纏の蝶蝶が波にもまるる。

   灘の美酒,菊正宗,
   薄玻璃の杯へなつかしい香を盛つて
   西洋料理舗の二階から
   ぼんやりとした入日空
   夢の國技館の圓屋根こえて
   遠く飛ぶ鳥の,夕鳥の影を見れば
   なぜか心のみだるる。

(注1) 両國橋は,米沢町(現在の中央区東日本橋2丁目あたり)と本所元町(現在の墨田区両国1丁目あたり)を結ぶ橋で,本所の地が,もと下総國に属しており,武蔵と下総の両國を結ぶ橋という意味で,両國橋と名付けられたといわれています。橋の東西は広小路(火除地・ひよけち)となり,盛り場として栄えました。木下杢太郎が「パンの會」で北原白秋らと通った時代の両國界隈は,いまとは違って,江戸情緒が幾分かは,味わえたのかもしれません。

(注2) 檣:(帆柱・マスト・ほばしら)

(注3) 四ツ目:本所のさきの地名で,有名な本所四ツ目芍薬(牡丹園)があり,両國橋のたもとから牡丹園行きの早船が出て,船頭が蝶々と牡丹を染め抜いた半纏を着ていたそうです。四ツ目之橋は,堅川たてかわに架かり北は本所茅場町三丁目(現在の墨田区江東橋3丁目)と南は深川本村町(現在の江東区毛利1・2丁目)を連絡する橋でした。牡丹園は,現在の江東区毛利1丁目21番地あたりにあったようですが,竪川沿いには首都高速7号小松川線が走り,永井荷風が『牡丹の客』のなかで書いた下町の水辺の風景は残っていません。

(注4) 国技館:圓屋根(まるやね)(ドウム)ができたのは明治42年(1909)6月2日のことでした。午後2時から挙行された開館式では,後藤新平が治療したこともある板垣退助が式辞を述べています。

両國橋の景観 対岸に國技館を観る(絵葉書)(堀江幸司所蔵)

♪江戸幕府は,大川に五つの橋を架けました。上流から千住大橋(文永3年[1594]),吾妻橋(安永3年[1774],両國橋(万治2年[1659],新大橋(元禄6年[1693]),永代橋(元禄11年[1698])の順になります。

隅田川の橋:

♪一番古く架橋されたのが,千住大橋で,両國橋が2番目,永代橋が3番目となります。一番下流に位置する勝鬨かちどき橋ばしが架けられたのは,昭和15年(1940)のことで,創設当時のままの形を残しています。

♪千住大橋は,徳川家康が伊奈いな忠次ただつぐ(普請奉行・代官頭)に命じて,江戸開府前の豊臣政権下に架けさせた橋で,その費用は,伊達政宗が用立てたといわれています。皮肉なことに,徳川最後の将軍,徳川慶喜は,この千住大橋を渡って,水戸の地に帰ることになります。

♪両國橋は,明暦の大火(明暦3年[1657])の2年後の万治2年(1659)に防災と都市計画のもとに架けられましたが,明治30年(1897)の花火のときには,見物衆が橋上に殺到して欄干が崩れ落ちました。

♪江戸の面影を残す大川端,浜町河岸は,江戸を懐かしみ,明治の新時代の息吹を感じさせる場所でもありました。「両國」の詩のなかに,菊正宗と西洋料理舗レストラントが同居しています。

♪「パンの會」のメンバーは,大川の夕景を,灘の美酒を酌み交わしながら,椅子に腰をかけて三味線をひく女たちと,楽しんだのかもしれません。粋ななかに異国情緒を感じさせます。

♪隅田川界隈は,医史跡のほかに文学散歩を楽しむような場所も多く,春の桜の花や川風を肌で感じ,永井荷風や芥川龍之介の足跡を辿ると,あらたな「江戸東京」に巡り合えるかもしれません。

(平成15年11月9日 記)(平成24年1月20日 リンク・絵葉書追加)(令和元年10月2日 追記)