4.緒方洪庵の13人の子供たち

♪緒方洪庵(1810-1863)は、妻八重(1822-1886)との間に、七男六女、13人の子供をもうけました。(第五子、第六子は夭折)

♪洪庵に13人の子供がいたことは、高林寺にある洪庵の墓石(侍醫兼學法眼緒方洪庵之墓)の裏に刻まれている墓誌(茶渓古賀増撰 三澤精確書)のなかにも、記されています。(写真参照

緒方洪庵墓の碑文の一部(平成21年3月 堀江幸司撮影)

「家娶億川氏生六男七女嫡夭次洪哉承後次名四郎其三幼女嫡大槻玄俊次配養子拙齋」

「侍醫兼督學法眼緒方洪庵之墓」墓誌全文(緒方富雄著 「中外醫事新報」1239号別刷 昭和12年1月28日発行)

高林寺・緒方洪庵墓域(1993.3.28 堀江幸司撮影)

♪洪庵の没後、家長となったのが、次男の惟準(これよし)(1843-1909)。今年、平成21年(2009)は、惟準の没後、100年にあたります。

緒方惟準 (出典:『医譚』第17号:pp.45-66. 1944.)
緒方惟準(出典:「中外医事新報」 第704号 pp.1070-1072 明治42年7月20日刊行

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♪緒方富雄先生は、「緒方洪庵の子、緒方惟直のこと(未定稿)」と題して(「蘭学資料研究会 研究報告」(第274号))、以下のように書かれています。(文献4)

洪庵の子

緒方洪庵(1810-63)と夫人八重(1822-86)とのあいだに13人の子がうまれた。そのうち男の子5人と女の子4人が成人した。その男の子はつぎの5人である。

惟準(これよし)幼名平三、洪哉。第三子、次男(1843-1909)

惟孝(これたか)幼名四郎、城次郎。第四子、三男(1844-1905)

惟直(これなお)幼名十郎。第十子、五男(1853-78)

収二郎(しゅうじろう)第十二子、六男(1857-1943)

重三郎(じゅうざぶろう)第十三子、七男(1858-85)

 

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♪緒方家の家系図については、『故大熊房太郎先生寄贈図書目録』(聖マリアンナ医科大学附属図書館、1983)のなかに『緒方氏系図』(緒方富雄編、1966)があり、一度、実見したいと思っていましたが、実現できないままになっています。(国立国会図書館にも所蔵があるようです)

♪西岡まさ子氏の小説『緒方洪庵の息子たち』(河出書房新社、1992)は、洪庵没後の息子たちの足跡を追って、豊富な資料と取材に基づき、描かれています。また、西岡まさ子氏には、洪庵の妻(八重)を描いた『緒方洪庵の妻』(河出書房新社、1988)という小説もあり、こちらも、史実に基づいて、丹念に書かれています。

♪この2册の歴史小説は、緒方富雄先生が著された『緒方洪庵傳』(初版)『緒方洪庵伝』(第2版)とともに、洪庵を知るための、貴重な資料となっています。

♪『緒方洪庵の息子たち』の巻末に参考文献として『緒方氏系図』の記載があり、「緒方家・億川家系図」が収録されていました。

♪この「緒方家・億川家系図」と『緒方洪庵伝』(第2版)の巻末の年表から、洪庵の子供たちの名前と生誕年月日の一覧を作成してみました。

緒方家家系図

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♪久しぶりに東京大学医学図書館(本郷)を訪ねて、2階閲覧室に置かれている明治に刊行された和雑誌をブラウジングしていたら、「東京医事新誌」の第1624号(明治42年7月24日刊行)に「洪庵先生略傳」という記事を見つけました。そのなかに「故洪庵先生夫人八重子並緒方一家の寫眞」があって、緒方準一先生、緒方安雄先生、緒方富雄先生の子供のころの顔がありました。(令和元年[2019年10月23日 追記]

故洪庵先生夫人八重子並緒方一家の寫眞(出典:「東京医事新誌」1624:28-35[1508-1515] 明治42年7月24刊行)

参考文献

1)『緒方洪庵傳』(初版)(緒方富雄著 岩波書店 1942)

2)『緒方洪庵伝』(第2版)(緒方富雄著 岩波書店 1963)

3)『医の系譜 緒方家五代 洪庵・惟準・銈次郎・淳一・惟之』(緒方惟之著 燃焼社 2007)

4)「緒方洪庵の子、緒方惟直のこと(未定稿)」(緒方富雄著):蘭学資料研究会研究報告 第274号 pp.4-23. 1973,

5)洪庵先生略傳 「東京医事新誌」第1624号 28-35[1508-1515] 明治42年7月24日刊行

6)緒方惟準翁小傳 「中外醫事新報」第704号 1070-1072 明治42年7月20日刊行