3. 緒方洪庵墓:高林寺内の移転と甕棺

 

♪現在、緒方洪庵の墓は、高林寺(こうりんじ)(東京都文京区向丘2丁目37番5号)の本堂に向かって左側に広がる墓地の中央部分に位置しています。(関連連載第1回)

♪洪庵の墓所は、以前から、この場所にあったのではありません。埋葬当初(文久3年[1863]6月22日)は、寺門に近い水はけの悪い場所にありました。

♪昭和11年(1936)、高林寺(当時の住所は東京市本郷区駒込蓬莱町68番地)に隣接する道路が拡幅されることになり、それに伴い洪庵の墓も、高林寺内の別の場所に移転することになりました。

♪墓の掘り起こしと移転作業が、高林寺住職、府当局、親戚一同立会いの下、6月22日の午前9時から行われました。洪庵の歿後、73年目のことです。昭和11年(1936)といえば、二・二六事件が起こり、世情が不安定な時代でした。

♪洪庵の墓の移転については、洪庵の曾孫にあたる緒方富雄先生(日本医学図書館協会第2代会長)が『中外醫事新報』(第1239号)(1937年)の中で、詳しく記述されています。

♪その記録の中には、高林寺内の洪庵墓の旧墓所と新墓所の全景写真とともに、洪庵の遺骸が納められた甕の写真も載っていました。土中から掘り出された甕棺と思われます。大変、貴重な記録写真ですので、転載しておきます。

第1図 洪庵の遺骸を納めた甕

 

第2図 甕を新墓所に納めたところ(写真の右方が前面に当る)

 

第3図 旧墓所 向って右洪庵墓、左洪庵夫人墓、中央後追賁碑

 

第4図 新墓所 向って右洪庵墓、左洪庵夫人墓、右端追賁碑、これと洪庵との間の後に重三郎墓が見えている

(図の説明文は、緒方富雄先生の文献のまま。また、現在の墓所の写真は、連載第1回に掲載してあります)

緒方洪庵墓 (平成20年6月15日撮影)

 

♪洪庵が納められた甕は、地下七尺のところからあらわれ、水を含んだ泥土で充ちていたとのこと。遊離した一枚の肩胛骨や、脊椎の上端、左右数本の肋骨、大腿骨の一部が見えたとのことです。

♪甕の掘り出しに立会った親族の中には、「この機会に遺骨を清掃して納め直したらどうか」との意見もあったようですが、洪庵の第十二子である緒方収二郎氏の意見に従って、甕の中には手をつけず、そのままの形で新墓所に埋葬されることになったとのことです。

♪緒方収二郎氏は、昭和3年(1928)5月27日に、岡山市足守で行われた「洪庵緒方先生碑」の除幕式にも、緒方銈次郎氏とともに、遺族総代として参加しています。

♪甕の大きさは直径一尺九寸、内径一尺五寸五分、高さ約二尺五寸。暗褐色の焼色。この中に仏様になった洪庵が納められ埋葬されました。

♪月日は流れ、今年、平成21年(2009)は、墓所移転の時から、また、73年目の年となりました。そして、来年、平成22年(2010)は洪庵の生誕200年、4年後の平成25年(2013)は、洪庵の歿後、150年の節目の年となります。

♪高林寺の緒方洪庵墓は、江戸からの時の流れを、確実に、今に伝える史跡のひとつとなっています。

参考文献

1)緒方富雄:緒方洪庵墓の移轉 『中外醫事新報』(第1239号)(1937年)pp.10-17.

2)堀江幸司:緒方洪庵誕生地 『医学図書館』33(2):204-205,1986.
(平成21年2月7日 記)