位置:1種イ5号1側

🌲土佐國高岡郡佐川(現・高知県高岡郡佐川町)は、土佐藩の筆頭家老であった深尾家が治める山紫水明の城下町。清流が育む山間の自然豊かな酒造の町でもあります。なかでも「司牡丹」(司牡丹酒造)は、坂本龍馬と所縁の深い蔵元として知られています。
🌲町中を里山・虚空蔵山(こくぞうさん)を源流とする春日川(かすがかわ)が還流し、仁淀ブルーで知られる仁淀川(によどかわ)の流域の町です。
🌲佐川町は、植物学者の牧野富三郎の生誕地としても知られ、春になるとゆかりの「牧野公園」(佐川城址)には、いく種もの桜が咲乱れ、山桜のほかに、東京染井の地からおくられた染井吉野桜も植えられているそうです。
🌸牧野富太郎が東京(染井)でソメイヨシノの苗木を買って郷里佐川に送り移植したのは、明治35年(1902)40歳の時でした。

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🌲この佐川町の山向こうの佐川郡越智村(現・高知県高岡郡越知町)から幕末に大坂(適塾)、長崎(精得館)で学び、明治初年に江戸にでて「秋月の変」「西南の役」で軍医として活躍した井上元章(いのうえ・もとあき)という人物がいました。
🌲染井霊園のなかを散策していて、「正七位勲五等井上元章君碑」と書かれたの立派な顕彰碑が建っていることに気がついたのは、ずいぶん前のことでしたが、履歴などの調査は、そのままになっていました。
🌲森林太郎(鴎外)と東京大学医学部で同級生(明治14年卒業組)であった土佐出身の長濱東一郎のことを調べていて、同郷の井上元章が明治11年(1878)に亡くなっていることを知り、その人物について碑文や文献をみておくことにしました。
🌲碑は、明治11年(1878)10月11日に井上元章(駿河台鈴木町5番地在住)が亡くなった翌月、嗣子の依頼により建てられたもので、碑文は、岩崎維慊(いわさき・これあき)(土佐藩・明治初期の文部官僚)によります。



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🌲土佐國佐川郡越智村出身。又十郎(高知県士族)の男。母は赤堀氏。小字は健次郎。
🌲大坂に出て緒方洪庵に学び、長崎では満私歇爾度(まんしけつるど)に学ぶ。
📕満私歇爾度(マンスフェルト)は、幕末に長崎に来日して、精得館(のちの長崎医学所)で近代医学を教えたオランダ医師、コンスタント・ジョージ・ファン・マンスフェルト(Constant George van Mansvelt, 1832-1889)。熊本時代には、北里柴三郎、緒方正規らを教えています。
🌲明治4年(1871)東京に出て同じく土佐藩の金澤良斎(勝海舟の主治医)、弘田親厚(ひろた・ちかあつ)(弘田長[つかさ](東京大学医学部小児科初代教授)の父)らと二等軍医副となる。
📕この明治4年(1871)は、兵部省のなかに軍医寮が設けられた年で、この時、松本良順のすすめで出仕したもののなかに石黒直悳(八等出仕)がいました。
文献:「軍医寮発足のさいにみられた東校と兵部省との確執」(日本医史学雑誌 41(4)(1480)567ー591、1995(国立国会図書館デジタルコレクション)
文献:「陸軍軍医学校五十年史」(陸軍軍医学校編 陸軍軍医学校、昭和11」)(国立国会図書館デジタルコレクション)
🌲明治7年(1874)東京鎮台に移って近衛に属し7月軍医となる。その後、熊本鎮台に移って明治9年(1876)には「秋月の変」(熊本)に従軍する。
📕明治9年(1976)4月には熊本鎮台の第十三連隊第一大隊で軍医を務めています。このときの参謀に児玉源太郎(のち陸軍大将)がいました。
文献:『陸軍職員録 明治9年4月改訂』(国立国会図書館デジタルコレクション)
📕明治6年当時の熊本鎮台司令長官であった谷干城(たに・たてき)は、後年、訪ねてきた井上元章の息子・昆雄について、次のように懐述しています。
「英学を能くす 元海南学校[前身は開成館]の教師なり 今は逓信省の官史たり 正直の人なり」
🌸家系
井上元章
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息子・井上昆雄(本郷区西片町10)
文献:『日本紳士録 第5版』(交詢社 明治32)(国立国会図書館デジタルこrコレクション)

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孫・井上克巳
文献:『谷干城 遺稿 上)』(島内登志衛編 靖献社 1912)(国立国会図書館デジタルコレクション))
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🌲明治10年(1877)「西南の役」に従軍。熊本、久留米、福岡、長崎など九州各地を奔走。病となり10月福岡にもどる。
🌲明治11年(1878)3月帰京。6月22日に勲五等を叙し年金100円を賜う。
🌲明治11年(1878)10月11日病没、享年44歳。染井村に眠る。
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📕🖋新聞に、井上元章の死亡について以下のような死亡広告が掲載されます。
「井上元章義久々病気ノ処昨十一日 午前八時病死致候ニ付き 知己ノ諸君ヘ報告ス 駿河台鈴木町五番地 井上屯 但シ本日午後第三時出棺之筈」
文献:『死亡広告物語』(真杉高之著 1984)(国立国会図書館デジタルコレクション)
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🌲文献を調べていたところ、井上元章の墓所は、この染井霊園のほかに、高知県高岡郡佐川町乗台寺にもあることがわかりました。
文献 「土佐の墓 その4」(土佐史談選書;14)(山本泰三著 土佐史談会 1991)(国立国会図書館デジタルコレクション)
🌲乗台寺(高岡郡佐川町甲1746)は、佐川町最古の寺院で南北朝時代の創建(正平19年[1364])と言われ、池泉回遊式庭園(ひさご園)を持ちます。井上元章のお墓は、山裏山左上方にあるようです。
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🌲JR駒込駅近く、本郷通りに面する六義園(りくぎえん)(明治期岩崎彌太郎別邸)から染井霊園につながる染井通りを進むと左手に津藩藤堂家・藤堂内匠頭抱屋敷、右手に染井の植木屋がありました。駒込染井は、染井吉野桜(オオシマザクラとエドヒガンの交配種)が生まれた土地です。植木の栽培のほか、大名屋敷に出入りして植木の手入れなどを行っていたようです。
文献:「1151 そめいよしの Prunus yedoensis Matsum」(明治5年命名)『新日本植物図鑑 第35版』(牧野富太郎著 北隆館 1979)
🌲霊園入口を入って、巣鴨側に墓道を進むと、右手奥に、長池があった場所にでます。
🌲この辺りは、その昔、巣鴨御薬園(渋江長伯)があった場所で、長池からは谷戸川のが流れ出し、本郷台と忍岡の台地を分け、谷中を形成して、上野不忍の池に注いでいました。
🌲染井霊園のある場所は、旧播州林田藩(兵庫県)建部家下屋敷跡で、長池からの清流にそって建部家花屋敷(3000坪)もありました。駒込染井は、いまでは考えられないほど、自然豊かな百花繚乱の地でした。

🌲長池跡の土手の上には、染井吉野桜の古木(巨木)が、天に向かって、まるで動脈のように分枝して枝をのばしています。公園ベンチが設置され、染井吉野桜の隠れた名所となっています。


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🌲江戸染井と土佐國佐川の2カ所に墓所を持つ井上元章。九州各地を転戦した軍医にとって、桜と言えば、やはり日本古来の山桜ではないか。淡紅色の花と赤褐色の若葉とが、同時に開きはじめる山桜のある野山の風景。そこには44歳の若さで散った軍医井上元章の姿が見えるようです。
📕 敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ 山桜花(本居宣長)
(令和8年3月3日 記す 堀江幸司)

