87.「わが師わが友 (5)」(No.121-No.150)(「日本医事新報」)(最終回)

♪「わが師わが友」のデジタル化は、今回が最終回になります。欠ページがあるところもあり、完全とは言えませんが、先にデジタル化をした「東都掃苔記」「新東京・醫學きまぐれ散歩」とともに、明治から昭和にかけて活躍された医学者や事績を検索するときの手がかりとなればと思います。

♪各記事は、個人研究用にPDF化してEvernoteの共有ファイルとしてあります。将来的に各記事で出てくる人名索引のようなものが作成できればとも思っています。

「わが師わが友 No.121-No.150」(PDF)

121.久保猪之吉先生の思い出 先生の御勤務(山川強四郎) 或る日の先生(宮城冱山) 先生の片鱗(執行作彌) 1381 41[2777]-42[2778] 昭和25年10月14日

122.井街 謙君を思う (淺山亮二) 1385 34[3034] 昭和25年11月11日

123.楠木長三郎先生 (布施信良) 1386 37[3105]-38[3106]4段目 昭和25年11月18日

124.眞鍋嘉一郎先生 (三澤敬義) 1388 25[3237926[3238] 昭和25年12月2日

125.林 文雄博士を思う (塩沼英之助) 1391 33[3457]、32[3456]3段目 昭和25年12月25日

126.中西亀太郎先生 (三戸時雄) 1393 61[61]、60[60]3段目 昭和26年1月6日

127.浅田宗伯の師友喜多村栲窓 (安西安周) 1394 59[135]60[136] 昭和26年1月13日

128.堀内次雄先生と台湾 (森下 馨) 1398 23[387]-24[388] 昭和26年2月10日

129.島薗順次郎先生 (林 良材) 1399 26[450]-28[452] 昭和26年2月17日

130.島村俊一先生 (土屋榮吉) 1401 33[577] 昭和26年3月3日

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131.長與門下の三羽烏 (平野啓司) 1402 25[637]、24[636]4段目 昭和26年3月10日

132.京大創立時代の人々(其の一) (里見三男) 1404 29[769]、28[768]3段目 昭和26年3月24日

133.京大創立時代の人々(其の二) (里見三男) 1405 29[837]、28[836]3段目 昭和28年3月31日

134.石川知福博士 誠實と努力の業績(勝木新次)石川先生の思い出(松岡修吉) 1406 25[901]-27[903]  昭和26年4月7日

135.教授と将軍 (里見三男) 1410 35[1207]、37[1209]4段目 昭和26年5月5日

136.磐瀬雄一先生 (安井修平) 1412 29[1353]-30[1354] 昭和26年5月19日

137.噫!田村於兎博士 (寺師義信) 1414 23[1491] 昭和26年6月2日

138.北里・緒方両先生 (緒方規雄) 1415 29[1565]-30[1566] 昭和26年6月9日

139.明朗な近代的學究 中島 實先生 (小島 克) 1418 31[1771]-32[1772] 昭和26年6月30日

140.中村 登先生 (牟田哲三郎) 1420 29[1921] 昭和26年7月14日

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141.城井尚義のことども 上原太朗 1422 49[2077]、50[2078] 昭和26年7月28日

142.寺邑政徳君 秋田縣内小友村開業の恙虫病の研究家 緒方規雄 1423 55[2159]-56[2160] 昭和26年8月4日

143.宮路重嗣先生 伊藤泰一 1432 33[2777]-34[2778] 昭和26年10月6日

144.二木謙三先生 村山達三 1437 27[3131] 昭和26年11月3日

145.志賀先生を語る(一) 松岡憲固 1438 31[3207] 昭和26年11月17日

146.志賀先生を語る(二) 松岡憲固 1441 27[3419]-28[3420] 昭和26年12月8日

147.卒業五十年の同窓を語る(一) 小池 重 1442 31[3495]-32[3496] 昭和26年12月15日

148.卒業五十年の同窓を語る(二) 小池 重 1443 31[3563]-32[3564] 昭和26年12月22日

149.佐々木東洋先生と佛教醫學 安西安周 1446 53[169]-54[170] 昭和27年1月12日

150.泌尿器科學と土肥慶蔵先生 高橋 明 1450 35[495]-37[497] 昭和27年2月9日

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(令和元年[2019]12月13日 作成 堀江幸司)

86.「わが師わが友 (4)」(No.101-No.120)(「日本医事新報」)

♪今回の「わが師わが友」には、「江戸東京」にも関係深い、ウイリス(No.112)とポンぺ(No.119)が含まれています。また、東京大学医学部関係では、初代解剖学教授を務めた田口和美(No.109)が含まれています。

「わが師わが友(101-120)」PDF

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101.京大解剖の創設者 鈴木文太郎先生 國友 鼎 1347 21[429]-22[430]、20頁[428]4段目 昭和25年2月18日

102.飯島 魁先生 吉田 貞雄 1348 23[491]-24[492]、22頁[490]4段目 昭和25年2月25日

103.大五組の人々 西宮金三郎 1349 25[553]-26[554] 昭和25年3月4日

104.海人草の研究者田中正鐸 田中正太 1351 21[669]-22[670] 昭和25年3月18日

105.芳賀榮次郎君 三浦謹之助 1352 20[728]-21[729] 昭和25年3月25日

106.Dr. H. Heinemann 中澤 進 1355 46[958]-47[959] 昭和25年4月15日

107.大原八郎博士と野兎病の研究 岩永幾太郎 1356 32[1020]-33[1021] 昭和25年4月22日

108.田口和美先生を偲ぶ 大串菊太郎 1357 31[1087]-32[1088] 昭和25年4月29日

109.三宅速先生の思い出 須藤 求、隈 鎭雄 1359 28[1220]-29[1221] 昭和25年5月13日

110.武谷 廣君を憶う 小池 重 1360 29[1289]-30[1290] 昭和25年5月20日

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111.氏家信君を憶う 梅室痩庵 1362 33[1429]-34[1430] 昭和25年6月3日

112.ウイリスの事ども 鮫島近二 1363 27[1499]-28[1500] 昭和25年6月10日

113.村田宮吉先生 安田龍夫 1365 30[1646]-31[1647] 昭和25年6月24日

114.角尾先生を偲ぶ 楠井賢造 1371 41[2073]-42[2074] 昭和25年8月5日

115.淺井猛郎先生 戸苅近太郎 1372 43[2151]、44[2152]の4段目 昭和25年8月12日

116.關場不二彦先生の事ども 鮫島龍水 1374 32[2292]-33[2293]、34[2294]3段目 昭和25年8月26日

117.岡本梁松先生の逸話 小南又一郎 1375 26[2354] 昭和25年9月2日

118.山崎正薫先生を憶う 谷口彌三郎 1377 34[2498]、33[2497]4段目 昭和25年9月16日

119.蘭醫ポムぺの事 佐藤恒二 1378 29[2561]-30[2562] 昭和25年9月23日

120.佐多愛彦先生 吉田貞雄・大野内記 1379 27[2627]28[2628]2段目まで、29[2629]3段目から30[2630]4段目27行目 昭和25年9月30日

(令和元年[2019]12月7日 記す)

85.「わが師わが友 (3)」(No.61-No.100)(「日本医事新報」)

♪今回、紹介する「わが師わが友」の連載記事のなかで、第70回(入澤達吉先生の側面)は、長文のため2週(1313号、1314号)にわけて掲載されています。

♪No.74で取り上げられている「岩熊哲先生」は、『解體新書を中心とする解剖書誌』の執筆者です。「改訂版江戸東京」の第25回を書いていたとき、岩熊哲先生について知りたいと思っていたのですが、今回、「わが師わが友」の記事で、岩熊哲先生の人物像が見えてきました。

「わが師わが友」PDF(No.61-No.100)

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61.石黒忠悳先生 (平井政遒) 1304:21[773] 昭和24年4月23日

62.小澤修造先生のことども (福島寛四) 1305:26[830] 昭和24年4月30日

63.アシヨフ先生のことども (小池 重) 1306 : 25[831]-26[832] 昭和24年5月7日

64.唐澤光徳先生 (鎭目専之助) 1307:25[933] 昭和24年5月11日

65.石川 修先生の思ひ出 (梅室痩庵) 1308 : 25[985]-26[986] 昭和24年5月21日

66.三田定則先生 (古畑種基) 1309:24[1036] 昭和24年5月28日

67.遠藤 滋君 (北島多一 ) 1310:24[1088]-25[1089] 昭和24年6月4日

68.草間滋さんの半面 (高野六郎) 1311:23[1139]-24[1140] 昭和24年6月11日

69.田村君の片鱗 (高橋 明) 1312:22[1190]-23[1191] 昭和24年6月18日

70.入澤達吉先生の側面 (宮川米次) 1313 : 20[1240]-22[1242] 昭和24年6月25日

70.入澤達吉先生の側面(続) (宮川米次) 1314 : 21[1293]-22[1294],20[1292] 昭和24年7月2日

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71.守山恒太郎君を語る (里見三男 ) 1315 20[1344]-21[1345] 昭和24年7月9日

72.井上嘉都治先生 (高田 蒔) 1316 22[1398]-23[1399] 昭和24年7月16日

73.高木喜寛先生 (永山武美) 1317 20[1448]-21[1449] 昭和24年7月23日

74.病床の醫史家 岩熊哲先生 (米山千代子) 1318 22[1502]-23[1503] 昭和24年7月30日

75.市井の名醫 木堅田次郎氏 (及熊謙一) 1319 23[1555]、前頁3段目へ続く 昭和24年8月6日

76.伊東祐彦先生の思い出 (遠城寺宗徳) 1320 33[1617]-34[1618] 昭和24年8月13日

77.木村孝蔵先生 (藤田小五郎) 1321 21[1665] 昭和24年8月20日

78.久保猪之吉先生 (山川強四郎) 1322 21[1717]-23[1719] 昭和24年8月27日

79.小川劔三郎先生 (戸田 亨) 1323 22[1773], 21頁4段目へ続く 昭和24年9月3日

80.秦 勉造君 (小池 重) 1324 27[1835]-28[1836] 昭和24年9月10日

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81.エーリッヒ・レキセル先生の追慕 (村山小七郎) 1325 22[1890]-24[1892] 昭和24年9月17日

82.佐藤秀三先生を憶う (黒屋政彦) 1326 19[1939]-20[1940] 昭和24年9月24日

83.〇九會の人々 (村山達三) 1327 31[2003]-32[2004] 昭和24年10月1日

84.名醫 濱田玄達先生 (田澤多吉) 1328 23[2055]-24[2056] 昭和24年10月8日

85.畏友 三浦謹之助君 (芳賀榮次郎) 1329 33[2117] 昭和24年10月15日

86.井上善次郎先生 (花岡和夫) 1330 21[2165]-22[2166] 昭和24年10月22日

87.亡友の俤[おもかげ] (飯島 茂) 1331 25[2221] 昭和24年10月29日

88.佐多愛彦先生 (熊谷謙三郎) 1332 27[2283]-28[2284] 昭和24年11月5日

89.佐々木秀一先生 (若林東一郎) 1333 26[2342]-27[2343] 昭和24年11月12日

90.大森治豊先生 (溝口喜六、芳賀榮次郎) 1334 25[2401]-26[2402] 昭和24年11月19日

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91.古瀬安俊博士 (梅室痩庵) 1335 23[2459] 昭和24年11月26日

92.晩年の松本順 (松本本松) 1336 29[2525]-30[2526] 昭和24年12月3日

93.大澤岳太郎先生 (井上通夫) 1337 22[2578] 昭和24年12月10日

94.山極勝三郎先生を憶う (石橋松蔵) 1338 21[2637] 昭和24年12月17日

95.三五會の人々 (樫田十次郎) 1339 20[2688]-22[2690] 昭和24年12月24日

96.三浦守治先生 (佐多愛彦) 1341 64[64]-65[65], 63頁3段目へ続く 昭和25年1月7日

97.Bernou先生 (篠原研三) 1343 69[221] 昭和25年1月21日

98.一九四九年ノーベル醫學賞授賞者 ワルター・ルドルフ・ヘス先生 (筒井徳光) 1344 22[250]-24[252] 昭和25年1月28日

99.島峰 徹先生 (金森虎男) 1345 34[322]-35[323] 昭和25年2月4日

100.葛西勝彌君 (高野六郎) 1346 21[369]-22[370] 昭和25年2月11日