74.「東都掃苔記」(1-50)と「GoogeMyMap 医家墓所掃苔録」(1)

 

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♪「東都掃苔記」の著者,杉野大澤は、漢方医で医史学者であった安西安周(あんざい・やすちか)の筆名です。2年間にわたって,毎週,一度の休みもなく,一頁のなかに,文章,墓石の写真,肖像写真,遺墨などが,きれいに,割り付けられています。

♪これだけの,記事を書くとなると,普段から相当の資料を,収集していたと思います。さらに、執筆にあたっては,文献だけに頼らずに、子孫を訪ねるなど,取材も,しっかり,なされたようです。編集者の協力もあったとは思いますが,大変な労作です。

♪「掃苔録」の基本文献としては,戦前に発刊され,昭和48年(1973)に八木書店によって再刊された『東京掃苔録』(藤浪和子著)があります。平成5年(1993)に神田の古書店「慶文堂書店」で,『東京掃苔録』を入手したとき,将来,医家の掃苔録をつくりたいと思っていました。

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♪「江戸東京医史学散歩」を進めて行く過程で、『日本醫事新報』誌のなかに,近代医家のお墓を,まとめて,取り扱った連載記事(「東都掃苔記」)があることを知ったときは、ちょっと、興奮しました。文献のほうから、近づいてきた感じでした。早速,本学図書館の保存書庫から,借り出して現物を確認してみることにしました。

♪第1回(昭和29年8月28日発行)の土肥慶蔵からはじまって,最終回の第100回(昭和31年7月21日発行)の宇野朗(うの・ほがら)までをみてみると,いままで,知りたいと思っていた医家のお墓の場所が,ほとんど,載っていました。近代名医の掃苔記を完成させるという強い意思を感じさせる連載記事でした。

♪60年近く前の記事ですので,現在では,風化などの理由により整理されている墓石などもあるかとは思いますが,これらのお墓を「江戸東京」で,再び訪ねて,墓誌や石碑などを,デジタル画像で記録し,顕彰してゆけば,後世に繋がるのではないか。そんな思いに捉われました。

♪そこで、今回、「改訂版・江戸東京」では、GoogleMyMapの機能を活用して各霊園別の地図を作成しインターネット上で公開、データを共有できるようにしました。地図上の墓石の位置を示すポイントボタンを押すと、関係する写真などの画像が表示できます。

 参考文献:「江戸東京医史学散歩」とGoogleマイマップ:オンライン検索 32(3・4), 118-125, 2011-09.

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♪染井霊園の医家のお墓については、ほとんど実地調査が終わり、医家の墓石の位置を確認できたのですが、雑司ヶ谷霊園、谷中霊園は、まだ調査継続中です。掃苔を続けてゆければと思います。多磨霊園、青山霊園についても、調査予定です。気長な散歩になりそうです。

 

「東都掃苔記」を一覧表にまとめ,2回(1-50)(51-100)にわけて,掲載しておきます。各記事の画像をクリックすると、Evernotesに保管してある大きな画像にリンクします。

 

◆◆◆「東都掃苔記」に登場する人物と墓所

人 物 所属・専門 墓 所 位 置
1) 土肥 慶蔵 東大皮膚科教授 多磨霊園 七區甲一側
1) 片山 國嘉 東京帝國大學・法醫學 多磨霊園 七區甲五側
2) 河本 重次郎 東京帝國大學・眼科 多磨霊園 九區甲三側
2) 桐淵 鏡次 東大卒,桐淵眼科病院 多磨霊園 八區甲一側
3) 呉 秀三 東京帝國大學・精神病學 多磨霊園 五區甲一側
3) 宮本 仲 東大別課卒,開業。正岡子規の主治医 多磨霊園 廿二區の裏門近く
4) 宮入 慶之助 東大卒,九州大學名誉教授,寄生虫學 多磨霊園 七區乙十九側
4) 秦佐 八郎 岡山第三高等學校醫學部卒,慶大細菌学教授 多磨霊園 十四區甲廿一側
5) 藤浪 剛一 名墓顕彰會・日本醫史學會の主宰者 多磨霊園 九區甲十側
5) 草間 滋 東大卒,慶應義塾大學醫學部教授・細菌学 多磨霊園 六區甲十六側
6) 近藤 次繁 東京帝國大學・外科学 多磨霊園 二十二區一種二十二側
6) 呉 建 東京帝國大學・内科学 多磨霊園 廿一區甲廿五側
7) 井上 通泰 東大卒,岡山醫専教授 多磨霊園 十九區甲十二側
7) 遠山 郁三 東大皮膚科二代目教授 多磨霊園 十九區甲四十四側
8) 太田 正雄 東大皮膚科三代目教授 多磨霊園 十六區甲十二側
8) 長尾 折三 千葉醫専卒,開業 多磨霊園 廿一區と廿二區の中間域
9) 高木 友枝 東大卒,伝染病研究所 多磨霊園 廿二區甲五側
  台北病院長    
9) 川村 麟也 慶大教授・病理学 多磨霊園 十九區甲十側
10) 山谷徳治郎 日新醫學社社長 多磨霊園 七區甲十六側
10) 中泉 行徳 東大助教授・眼科 多磨霊園 八區甲七側
11) 八代 豊雄 宮内省侍醫・外科 多磨霊園 七區甲六側
11) 南 大曹 南胃腸病院長・胃腸病 多磨霊園 十區甲二側
12) 菅沼 定男 京大卒,慶大教授・眼科 多磨霊園 廿一區甲一側
12) 荒井 實 東大内科物療學助教授 多磨霊園 十一區甲三側
13) 眞鍋嘉一郎 東大内科物療學教授 梅窓院 港區青山
13) 飯島 茂 千葉醫専卒,軍醫學校長 梅窓院 港區青山
14) 竹内 玄同 幕府侍醫 梅窓院 港區青山
14) 中泉 正 軍醫監 梅窓院 港區青山
15) 長與 専齋 醫事衛生の確立者 青山霊園 一種イ十三號二側
15) 長與 称吉 消化器病学 青山霊園 一種イ十三號二側
15) 長與 又郎 病理学・東京大學総長 青山霊園 一種イ十三號二側
16) 稲田 龍吉 東大・内科(青山内科の後を継ぐ) 青山霊園 一種イ十三號二側
16) 久保猪之吉 九大・耳鼻咽喉科 青山霊園 一種ロ第二十號
17) 高木 兼寛 慈恵医大草創者 青山霊園 一種イ十號
17) 高木 喜寛   青山霊園 一種イ十號
17) 高木 兼二 慈恵医大教授・内科 青山霊園 一種イ十號
18) 北里柴三郎 伝染病研究所・北里研究所所長 青山霊園 一種ロ十九號
18) 浅川 範彦 北里研究所部長 青山霊園 一種ロ十八號
18) 柴山五郎作 北里研究所部長 青山霊園 一種イ一號
19) 後藤 新平 満鐵総裁・愛知病院長 青山霊園 一種イ五號
19) 金杉英五郎 東京醫科大學別課卒,衆議院議員 青山霊園 一種ロ三號
20) 實吉 安純 慈恵醫専・東京病院の學校長・醫院長 青山霊園 一種イ十八號
20) 鶴田禎次郎 陸軍省醫務局長 青山霊園 一種ロ八號
21) 栗本 東明 東大卒,大森病院長 青山霊園 二種十二號
21) 澤崎 寛制 東大卒,病理学,内科学。駒込病院, 青山霊園 一種イ十號
  臨床細菌学。長岡病院長。    
22) 斎藤 茂吉 東大卒,巣鴨病院医員,長崎醫専教授 青山霊園 一種イ二號
22) 大鳥 次 東大醫科卒・薬物学 青山霊園 一種イ一號
23) 大野 豊太 大野病院長・性病醫,俳諧 青山霊園 一種イ十號
23) 岡 玄郷 明治天皇の侍醫頭,津山藩 青山霊園 一種イ廿二號
24) 杉田 玄端 杉田立卿の養子,蕃書調所教授手傳 青山霊園 一種イ一號
24) 杉田 盛 横濱で開業,震災後,大森の蘭崎庵に住す 青山霊園 一種イ一號
24) ユリウス・スクリバ 東京帝國大學名誉教師・外科 青山霊園 外人墓地
24) フリッツ・スクリバ 日本醫科大學教師 青山霊園 外人墓地
25) 佐藤 進 順天堂第二代 吉祥寺 文京区駒込
25) 佐藤 恒久 帝國大學醫科卒,順天堂副院長 吉祥寺 文京区駒込
25) 佐藤 健 醫學博士 吉祥寺 文京区駒込
25) 佐藤 篤 海軍軍醫大佐醫學博士 吉祥寺 文京区駒込
26) 大澤 謙二 東大生理学教授 吉祥寺 文京区駒込
26) 西郷 吉義 陸軍軍醫監・侍醫・宮中顧問官 吉祥寺 文京区駒込
27) 賀古鶴所 陸軍軍醫監・耳鼻科・森鴎外の親友 吉祥寺 文京区駒込
27) 橋本 節齋 小石川病院長・新内科全書の著者 吉祥寺 文京区駒込
28) 澤 弌 醫文學者,済生學舎に學ぶ 吉祥寺 文京区駒込
28) 石津 寛 東大卒,軍醫少佐,牛込薬王寺開業,眼科 愛染院 練馬区春日町二
29) 入澤 達吉 東京帝國大學醫科大學・内科教授 谷中霊園 一種乙第二號
29) 三輪徳寛 千葉醫大初代學長・外科 谷中霊園 一種乙第二號
30) 足立 寛 陸軍軍醫監,東京大學醫學部教授 谷中天王寺  
30) 戸塚 静海 幕末洋方三大家の一人 谷中天王寺  
30) 戸塚 文海 海軍軍醫総監 谷中天王寺  
30) 戸塚 文雄   谷中天王寺  
31) 佐藤 信圭(泰然) 佐倉順天堂 谷中天王寺 国電線路に沿った崖上
31) 佐藤 尚中   谷中霊園 一種甲第九號
31) 佐藤 佐 東京順天堂副院長 谷中霊園 乙八號四側
32) 片山 國棟 法醫學の祖片山國嘉の實兄 谷中霊園 事務所前から五重塔までの大通りの右側
32) 奈須 柳村 「本朝醫談」の著者,醫史學の先哲    
33) 片山 芳林  (よしもと) 東大卒,森鴎外と同期。宮内省,侍醫頭 谷中霊園 片山國棟墓誌の右側を数間入ったところ
33) 片山 荘次 駒込病院醫局長 谷中霊園 片山國棟墓誌の右側を数間入ったところ
34) 石黒 忠悳 陸軍軍醫監,枢密顧問官 谷中霊園 五重塔の前,十字路の角
34) 長谷川 泰 済生學舎の創立者 谷中霊園 一種乙第一號
35) 大野 松齋 種痘醫 谷中天王寺 足立・戸塚両家の墓地に入る途中
35) 大野 恒徳 陸軍一等軍醫 谷中天王寺 足立・戸塚両家の墓地に入る途中
35) 馬島 瑞園 會津藩士,馬島瑞伯の門,眼科 谷中天王寺 戸塚家の墓地の近く
36) 三宅 艮斎 三宅秀の父 谷中天王寺  
36) 三宅 秀 西洋醫學所の教授 谷中天王寺  
36) 三浦 道生 福島県下寒村の開業醫   谷中五重塔の天王寺より角
36) 三浦謹之助 東大教授,三浦内科   谷中五重塔の天王寺より角
37) 今田 束 東大助教授・解剖學 谷中霊園 甲種乙第十號廿一側
37) 樫村 清徳 私立山龍堂醫院長 谷中霊園 甲九號九側
38) 浅田 宗伯(栗園) 明治漢方界の代表的人物 谷中霊園 甲種乙第八號十側
38) 浅田 宗叔(棕園) 浅田宗伯の長女と婚して浅田を名のる 谷中霊園 乙七號九側
39) 島村 鼎 醫を適塾の緒方洪庵に修めた 谷中霊園 佐藤尚中墓の近く
39) 島村 俊一 帝大醫科大學卒,第一醫院勤務,京都府立 谷中霊園 佐藤尚中墓の近く
  療病院長(英米醫學者)    
39) 小林 義直 東京養育院治療掛(英米醫學者) 谷中霊園 甲種乙十三號
40) 高松 凌雲 緒方洪庵に學ぶ,函館病院,鶯渓醫院 谷中霊園 一種乙五號
40) 石川 良信(櫻所) 凌雲翁の師,陸軍軍醫監 谷中霊園 高松家墓地の近く
41) 池田 玄仲 幕府の醫官 谷中霊園 徳川家墓地
41) 池田 謙斎 陸軍軍醫監,一等侍醫,東京大學醫學部総理 谷中霊園 徳川家墓地
41) 青山 胤通 帝大青山内科教授 谷中霊園 池田家墓地と背中合せの位地
42) 今村 了庵 明治漢方界の雄 谷中霊園 甲六號十五側
42) 中村 昌恵 岩手醫大の學長藤田敏彦博士夫人の先考 谷中霊園 乙十三條左五側
43) 林 紀 軍醫総監 谷中霊園 甲種甲第八號五側・五重塔裏手
43) 花岡 真節 大學東校当時の桐原真節・内外科兼皮膚科梅毒科教官 谷中霊園 乙十號九側
43) 前田 元温 薩人・明治前後のわが國醫事衛生で活躍した醫家 谷中霊園 石川櫻所の墓の近く
44) 清水郁太郎 東京大學産科婦人科の初代教授 谷中霊園 甲一號三側小林家墓地
44) 安藤 正胤 大槻俊齋・伊東玄朴の門下,大學種痘館醫員 谷中霊園 入澤先生墓の近く
45) 田代 基徳 整形外科學の鼻祖 谷中天王寺 戸塚・三宅両家の墓地近く
46) 佐々木東洋 杏雲堂醫院長 谷中霊園 一種甲九號
46) 佐々木政吉 東洋先生の養子,帝國大學醫科大學内科教授の鼻祖 谷中霊園 谷中霊園
46) 島園順次郎 東大島園内科教授 谷中霊園 一種甲八號
47) 佐藤 三吉 東大佐藤外科教授 谷中天王寺 戸塚・足立・田代・三宅・大野諸家の近く
47) 樫田亀一郎 東大卒,三浦内科,侍醫,日本橋に開業 谷中霊園 一種乙四號
47) 樫田 五郎 東大卒,呉秀三教授の巣鴨病院に精神科を研究 谷中霊園 一種乙四號
48) 林 洞海 幕末の名醫,種痘館設立の一人,大阪醫學校長 吉祥寺 文京区駒込
48) 伊東玄朴 幕末蘭醫の第一人者 天龍院 谷中三崎町
48) 伊東 方成 玄朴の養子,本邦最初の海外留醫生,侍醫 天龍院 谷中三崎町
49) 榊 綽 杉田成卿の塾生,銀板写真や活版石版の鼻祖 染井霊園 一種イ五號
49) 榊 俶 東京帝國醫科大學教授・精神病學 染井霊園 一種イ五號
49) 榊順次郎 産科婦人科病院長 染井霊園 一種イ五號の隣
50) 榊保三郎 九大精神科教授 染井霊園 一種イ五號
50) 緒方正規 東京帝國醫科大學教授 染井霊園 榊家の隣地

 

◆◆◆東都掃苔記(1-50)PDF 🚙

1)「東都掃苔記(1)」土肥家累代之墓・片山家之墓:『日本醫事新報』第1583号,p.34[3614](昭和29年8月28日)

「東都掃苔記(1)」

 

2)「東都掃苔記(2)」河本重次郎墓・桐淵家之墓:『日本醫事新報』第1584号,p.66[3730](昭和29年9月4日)

「東都掃苔記(2)」

 

3)「東都掃苔記(3)」呉家累代墓・宮本 仲之墓:『日本醫事新報』第1585号,p.35[3816](昭和29年9月11日)

「東都掃苔記(3)」

 

4)「東都掃苔記(4)」宮入家墓・秦家墓:『日本醫事新報』第1586号,p.62[3930](昭和29年9月18日)

「東都掃苔記(4)」

 

5)「東都掃苔記(5)」藤浪剛一博士の墓・草間家之墓:『日本醫事新報』第1587号,p.30[4018](昭和29年9月25日)

「東都掃苔記(5)」

 

6)「東都掃苔記(6)」近藤次繁之墓・呉家之墓:『日本醫事新報』第1588号,p.48[4120](昭和29年10月2日)

「東都掃苔記(6)」

 

7)「東都掃苔記(7)」井上家之墓・遠山家墓:『日本醫事新報』第1589号,p.30[4226](昭和29年10月9日)

「東都掃苔記(7)」

 

8)「東都掃苔記(8)」太田正雄之墓・長尾家之墓:『日本醫事新報』第1590号,p.50[4330](昭和29年10月16日)

「東都掃苔記(8)」

 

9)「東都掃苔記(9)」高木夫妻の墓・川村家之墓:『日本醫事新報』第1591号,p.28[4428](昭和29年10月23日)

「東都掃苔記(9)」

 

10)「東都掃苔記(10)」山谷家之墓・中泉家之墓:『日本醫事新報』第1592号,p.54[4538](昭和29年10月30日)

「東都掃苔記(10)」

 

11)「東都掃苔記(11)」八代家之墓・南家之墓:『日本醫事新報』第1593号,p.30[4634](昭和29年11月6日)

「東都掃苔記(11)」

 

12)「東都掃苔記(12)」菅沼家墓・荒井實之墓:『日本醫事新報』第1594号,p.50[4738](昭和29年11月13日)

「東都掃苔記(12)」

 

13)「東都掃苔記(13)」眞鍋家之墓・飯島家諸霊之墓:『日本醫事新報』第1595号,p.28[4836](昭和29年11月20日)

「東都掃苔記(13)」

 

14)「東都掃苔記(14)」竹内玄同の墓・中泉正軍醫監の墓:『日本醫事新報』第1596号,p.50[4942](昭和29年11月27日)

「東都掃苔記(14)」

 

15)「東都掃苔記(15)」長與家の墓:『日本醫事新報』第1597号,p.28[5040](昭和29年12月4日)

「東都掃苔記(15)」

 

16)「東都掃苔記(16)」稲田龍吉墓・久保家の墓:『日本醫事新報』第1598号,p.50[5146](昭和29年12月11日)

「東都掃苔記(16)」

 

17)「東都掃苔記(17)」高木家の墓:『日本醫事新報』第1599号,p.36[5252](昭和29年12月18日)

「東都掃苔記(17)」

 

18)「東都掃苔記(18)」北里家之墓・浅川範彦之墓・柴山五郎作之墓:『日本醫事新報』第1600号,p.32[5332](昭和29年12月25日)

「東都掃苔記(18)」

 

19)「東都掃苔記(19)」後藤新平伯之墓・金杉英五郎之墓:『日本醫事新報』第1601号,p.86[86](昭和30年1月1日)

「東都掃苔記(19)」

 

20)「東都掃苔記(20)」實吉家之墓・鶴田家之墓:『日本醫事新報』第1602号,p.94[230](昭和30年1月8日)

「東都掃苔記(20)」

 

21)「東都掃苔記(21)」栗本東明之墓・澤崎寛制墓:『日本醫事新報』第1603号,p.58[326](昭和30年1月15日)

「東都掃苔記(21)」

 

22)「東都掃苔記(22)」茂吉之墓・大鳥次郎墓:『日本醫事新報』第1604号,p.46[466](昭和30年1月22日)

「東都掃苔記(22)」

 

23)「東都掃苔記(23)」大野家之墓・岡 玄卿墓:『日本醫事新報』第1605号,p.66[570](昭和30年1月29日)

「東都掃苔記(23)」

 

24)「東都掃苔記(24)」杉田家の墓・スクリバの墓:『日本醫事新報』第1606号,p.40[664](昭和30年2月5日)

「東都掃苔記(24)」

 

25)「東都掃苔記(25)」佐藤家の墓:『日本醫事新報』第1607号,p.66[774](昭和30年2月12日)

「東都掃苔記(25)」

 

26)「東都掃苔記(26)」大澤家之墓・西郷家之墓:『日本醫事新報』第1608号,p.28[856](昭和30年2月19日)

「東都掃苔記(26)」

 

27)「東都掃苔記(27)」賀古家之墓・橋本家之墓:『日本醫事新報』第1609号,p.42[1002](昭和30年2月26日)

「東都掃苔記(27)」

 

28)「東都掃苔記(28)」澤 弌氏の墓・石津博士の墓:『日本醫事新報』第1610号,p.14[1156](昭和30年3月5日)

「東都掃苔記(28)」

 

29)「東都掃苔記(29)」入澤先生の墓・三輪博士の墓:『日本醫事新報』第1611号,p.70[1298](昭和30年3月12日)

「東都掃苔記(29)」

 

30)「東都掃苔記(30)」足立家の墓・戸塚家の墓:『日本醫事新報』第1612号,p.38[1386](昭和30年3月19日)

「東都掃苔記(30)」

 

31)「東都掃苔記(31)」佐藤泰然夫妻の墓・佐藤尚中夫妻の墓・佐藤左の墓:『日本醫事新報』第1613号,p.68[1500](昭和30年3月26日)

「東都掃苔記(31)」

 

32)「東都掃苔記(32)」片山國棟の墓・奈須柳村の墓:『日本醫事新報』第1614号,p.38[1590](昭和30年4月2日)

「東都掃苔記(32)」

 

33)「東都掃苔記(33)」片山家の墓:『日本醫事新報』第1615号,p.66[1714](昭和30年4月9日)

「東都掃苔記(33)」

 

34)「東都掃苔記(34)」况翁石黒忠悳の墓・長谷川夫妻の墓:『日本醫事新報』第1616号,p.28[1792](昭和30年4月16日)

「東都掃苔記(34)」

 

35)「東都掃苔記(35)」大野恒徳の墓・馬島瑞園夫妻の墓:『日本醫事新報』第1617号,p.70[1914](昭和30年4月23日)

「東都掃苔記(35)」

 

36)「東都掃苔記(36)」三宅家之墓・三浦博士夫妻の墓:『日本醫事新報』第1618号,p.48[2012](昭和30年4月30日)

「東都掃苔記(36)」

 

37)「東都掃苔記(37)」今田束氏の墓・樫村清徳の墓:『日本醫事新報』第1619号,p.50[2114](昭和30年5月7日)

「東都掃苔記(37)」

 

38)「東都掃苔記(38)」浅田家の墓:『日本醫事新報』第1620号,p.32[2200](昭和30年5月14日)

「東都掃苔記(38)」

 

39)「東都掃苔記(39)」島村家の墓・小林義直の墓:『日本醫事新報』第1621号,p.66[2318](昭和30年5月21日)

「東都掃苔記(39)」

 

40)「東都掃苔記(40)」高松凌雲夫妻の墓・石川櫻所の墓:『日本醫事新報』第1622号,p.46[2418](昭和30年5月28日)

「東都掃苔記(40)」

 

41)「東都掃苔記(41)」池田家の墓・青山胤通の墓:『日本醫事新報』第1623号,p.64[2536](昭和30年6月4日)

「東都掃苔記(41)」

 

42)「東都掃苔記(42)」今村了庵の墓・中村家の墓:『日本醫事新報』第1624号,p.52[2644](昭和30年6月11日)

「東都掃苔記(42)」

 

43)「東都掃苔記(43)」林紀軍醫総監の墓・花岡真節の墓・前田元温の墓:『日本醫事新報』第1625号,p.58[2754](昭和30年6月18日)

「東都掃苔記(43)」

 

44)「東都掃苔記(44)」清水郁太郎教授の墓・安藤正胤墓:『日本醫事新報』第1626号,p.62[2870](昭和30年6月25日)

「東都掃苔記(44)」

 

45)「東都掃苔記(45)」田代家の墓・田代基徳夫妻の墓:『日本醫事新報』第1627号,p.48(昭和30年7月2日)

「東都掃苔記(45)」

 

46)「東都掃苔記(46)」佐々木家の墓・島園家の墓:『日本醫事新報』第1628号,p.62(昭和30年7月9日)

「東都掃苔記(46)」

 

47)「東都掃苔記(47)」佐藤三吉夫妻の墓・樫田家の墓:『日本醫事新報』第1629号,p.54(昭和30年7月16日)

「東都掃苔記(47)」

 

48)「東都掃苔記(48)」林 洞海の墓・伊東玄朴父子の墓:『日本醫事新報』第1630号,p.62(昭和30年7月23日)

「東都掃苔記(48)」

 

49)「東都掃苔記(49)」榊俶の墓・榊順次郎博士の墓:『日本醫事新報』第1631号,p.52(昭和30年7月30日)

「東都掃苔記(49)」

 

50)「東都掃苔記(50)」榊保三郎博士の墓・緒方正規先生の墓:『日本醫事新報』第1632号,p.114(昭和30年8月6日

「東都掃苔記(50)」

 

(令和4年7月29日 訂正・追記)