68. 日本の昔話を英訳:「JAPANESE FAIRY TALE SERIES」(縮緬ちりめん絵本)を出版したヘボン(J.C. Hepburn)とタムソン(D. Thompson)


♪ヘボン(Hepburn, James Curtis)(1815-1911)(米国長老派宣教師・医師)(明治学院大学初代総理,1889-1891)1)2)3)が東海道・神奈川宿4)5)(現在の横浜市神奈川区神奈川本町付近)の成佛寺(じょうぶつじ›(飯田町)(横浜市神奈川区神奈川本町10-10)の本堂に住み始めたのは,安政6年(1859),44歳のときのことでした2)6)。

♪神奈川・箱館・長崎・新潟・兵庫の5港が開かれた年にあたります7)8)9)。この年には,シモンズ(Simmons, Duane B.)(1834-1889)(米国改革派教会宣教師・医師)10)も来日して宗興寺(そうこうじ)(青木町)(横浜市神奈川区幸ヶ谷10-6)に居住しました。宗興寺は,文久元年(1861)にヘボンが施療をはじめた場所でもあります11)。

♪成佛寺と宗興寺は,権現山の麓,滝ノ川沿いにあり,成佛寺には,もとオランダ領事館がおかれていました。滝ノ橋を挟んで,神奈川本陣と青木町本陣がありました12)。

♪成佛寺は,東海道から分岐した飯田道に面していました。「神奈川驛中圖會(文政6年[1823])」13)の(飯田町 成佛寺の圖)をみると,本堂と庫裡,そして,その周囲の建物の配置がよくわかります。「神奈川驛中圖會(文政6年[1823])」には,「宗興寺之圖」も描かれています。宗興寺は,東海道を滝ノ川に沿って上がった湊町・青木町にあり,船舶の真水を確保するための大井戸がありました。この井戸水は,ヘボンやシモンズの施療に役立ちました。

♪成佛寺の場所は、『金川砂子』の「神奈川方角圖」でも確認できます。

この画像には alt 属性が指定されておらず、ファイル名は 神奈川方角圖-1-1024x708.jpg です

『金川砂子』の「神奈川方角圖」(出典:国立国会図書館デジタルコレクション

参 考:

明治学院歴史資料館:東京都港区白金台1-2-37

横浜開港資料館:横浜市中区日本大通3

♪長い船旅を終え,ヘボンが神奈川湊に到着したのは,安政6年(1859)10月17日の夜。湊にはオランダ,英国,米国,仏国の各国の軍艦が停泊していたそうです。 上陸したのは,18日になってからと言われています2)。

♪安政6年(1859)といえば,「安政の大獄」の年にあたります。米使ペリーが浦賀に来航9)した嘉永6年(1853)から6年目。「安政の大獄」では,小濵おばま藩の梅田うめだ雲濱うんびんも,獄死しています。まさに,幕末の動乱の時代に,ヘボンは,海外伝道のため,強い信仰の心を持って日本にやってきたのです。

♪そのころの神奈川宿の周辺は,田園風景に囲まれていました。歌川広重は,『神奈川 台の景』(東海道五十三次)のなかで,坂道の途中に並んだ茶屋街や神奈川湊に浮かぶ和船を描いています8)。薹街から望む江戸湾の景色は,絶景だったようです。江戸湾の遠浅の白砂,海岸沿いの青松。古きよき時代の日本の湊の風景が,そこには,ありました。「細見神奈川絵図」(天保15年[1844])(神奈川県立歴史博物館)をみると、神奈川湊の沖合に「鯛活ス」とあります5)。

♪ヘボンは,田園風景を好んで,よく散歩をしましたそうです2)。いまでは,横浜に新田があったことなど,想像もできません7)。

♪神奈川宿は,京都から119里(約467㎞),江戸まで7里(約27㎞)の宿場町で,神奈川湊をもっていました。神奈川湊の『横の濱』が横濱村でした4)。神奈川湊(渡船場)と横濱波止場との間には,渡しの船がありました。

参 考:

横浜市歴史博物館:横浜市都筑区中川中央1-18-1

♪ヘボンは,成佛寺について,次のように書いています2)。

 「寺の建物は,本堂と庫裡からなっており,わたしは本堂を選びました。庫裡より小さいですが,よく修理すればこじんまりして,わたしどもの住居の習慣と趣味に適するように内部を改造できるのです。屋根は瓦ふきで地面から四フィートで,柱でささえてあり通気がよく,四十二フィート平方の一つの大きい構えで,天井までは十二フィートの高さに紙の障子で,外側は雨戸がしまるようになっております」

♪文久2年(1862),ヘボンが47歳のとき,神奈川宿から江戸へ向かう街道筋の生麦で薩摩藩士によるイギリス人殺傷事件が起こります。生麦事件です。ヘボンは,このとき本覚寺(アメリカ領事館)で被害者2名(クラークとマーシャル)を治療しています。翌文久3年(1863)には,横濱居留地39番地(646坪)14)15)に新居を建て転居して,新たに施療活動をはじめています。

ヘボン邸(現・横浜地方合同庁舎)(横浜市中区山下町)は、谷戸橋が架かる谷戸川に面していて、グランドホテル(居留地20番地)(現・横浜人形の家のあたり)に隣接し、対岸には、仏国領事館(現・港の見える丘公園)がありました。

ヘボン邸(画面左手の三角形の屋根の家)

♪ヘボンは,施療活動のほかに,和英辞書(『和英語林集成』)(初版 慶応3年[1867] 再版 明治5年[1872])の編纂,そして聖書の和訳に力を注ぎます。横濱にいたバラ夫妻16)(改革派宣教師)とタムソンも協力しています。

♪ヘボンがブラウン(Brown, Samuel Robbins)(1810-1880)(米国改革派教会宣教師)らと聖書翻訳委員社中を結成したのは,明治7年(1874)3月のことでした17)。

♪その前年の明治6年(1873)2月22日には,切支丹禁制が撤廃されていました。ヘボンも,やっと,自由な気持ちで伝道活動ができたことでしょう。日本人のキリスト教の信者も安心して説教を聴くことができ,ヘボンのもとへも通うことができるようになったことと思われます。

♪タムソン(Thompson, David.)(1835-1915)18)は,ヘボンと同じく米国長老派の宣教師で,文久3年(1863)5月18日に来日。ヘボン塾(英学塾)や日曜学校(安息日学校)を助けることになります。

♪ヘボンは,タムソンについて次のように語っています。

タムソン氏も語学研究に着手し,よくやっています。わたしは同氏に到着後,まもなく日本語の教師を世話してやりました。同氏はあるアメリカの商人の息子を教えております。・・・またその奉仕に対してタムソン氏は年二百ドルの報酬を受けることになるので,その金額はミッションの会計を多少うるおすことになるでしょう。タムソン氏はそのほか,わたしどもの礼拝堂で安息日に説教しております。    [文久3年(1863)6月15日 ラウリー博士宛の書簡]

♪タムソンは,横濱では,運上所の英語教師として働き,明治2年(1869)に東京に転じてからは,築地居留地19)に居住して,大学南校の英語教師に就任しています。

♪明治4年(1871)には,海外視察団の通訳兼案内人として各藩と契約して6月23日にアメリカ号で横濱を出港します。国立公文書館に『香川権大参事外一名海外視察人撰上中並米人タムソン同行等伺』(明治4年1月)の文書が残されています。この件に関しては,ヘボンとタムソンの間にトラブルもあったようです18)。

♪この使節団は,岩倉具視を特命全権大使とする派遣使節団より,半年も前に横濱を出港していたことになります。視察団のなかには,のちに沼津兵学校の設立に加わった江原えばら素そ六ろくも静岡から参加していました18)。

♪明治4年(1871)といえば,木下凞が,小濵から上京してきた時期にあたります。「江戸東京」の登場人物が,各地から横濱に集まってきています。杉田武(杉田玄白の子孫)と早矢仕有的の塾で,共に勉学に励んだのも,この時期のことでした。

♪明治5年(1872)5月8日には,横濱―品川(桜木町)間に汽車が開通。一日,6往復の発着がありました20)。当時の時刻表をみると,横濱から品川への所要時間は,35分。陸おか蒸気の威力は絶大で,まさに,時代が,文明開化へと突き進む象徴でした。

♪ヘボンとタムソンの事績を追っているなかで,彼らが日本の昔話を英訳してシリーズ化して出版していることを知りました。「JAPANESE FAIRY TALE SERIES」です。ヘボンは,医者らしく昔話のなかから「こぶとり爺さん」を選んで,英訳していました。

♪「JAPANESE FAIRY TALE SERIES」の所蔵調査をしたところ,福生市郷土資料室で,原本を所蔵していることがわかりました。縮緬ちりめん紙に挿絵が木版で刷られ,それに英訳が印刷されたものです。和洋折衷本です。閲覧利用には,問い合わせが必要なようですが,日本の昔話が,どのように英訳されたか,縮緬ちりめん紙の風合いとともに,内容を見てみたい衝動にかられました。

福生市郷土資料室(東京都福生市熊川850-1)(電話 042-530-1120)

縮緬ちりめん絵本:「JAPANESE FAIRY TALE SERIES」

英訳者:ダビット・タムソン 画家:小林 永濯

No.1 MOMOTARO[桃太郎]

No.3 BATTLE OF THE MONKEY AND THE CRAB [猿蟹合戦]

No.4 The Old Man Who Made The Dead Trees Blossom[花咲爺]

No.5 KACHI-KACHI MOUNTAIN[勝々山]

英訳者:ダビット・タムソン 画家:鈴木 華邨

No.6 THE MOUSE’S WEDDING[鼠嫁嫁入]

英訳者:ドクトル・ヘボン

『瘤取』(OLO MAN & THE DEVILS)

♪縮緬ちりめん本の原本を,一冊くらい持っていたいと思い,古書店のサイトをみてみました。高価すぎました。それに代わる本はないものか,もう少し,Google検索を続けました。

♪宮尾與男氏らが蒐集した「JAPANESE FAIRY TALE SERIES」(全21冊)を底本として『対訳日本昔噺集 JAPANESE FAIRY TALE SERIES 明治期の彩色縮緬絵本』(全3巻)21)22)23)と題して,平成21年(2009)に彩流社から出版されていることが,わかりました。対訳として日本語訳も,あわせて載せられているようです。

♪自宅近くの図書館で,その所蔵がないかを検索したところ,東京都文京区立本駒込図書館にありました。早速,平成22年(2010)9月16日の午後,借りに行ってきました。

♪『対訳日本昔噺集 JAPANESE FAIRY TALE SERIES 明治期の彩色縮緬絵本』(は,挿絵の印刷も,大変,綺麗なものでした。装丁も素敵で,見返し用紙も凝っています。ちりめん紙がみを想像しました。ちょっと,久しぶりに,感動的な紙の書籍との出会いでした。

♪『和英語林集成』や聖書の和訳とは違ったヘボンの翻訳の別の側面を知ることができ,医学図書館や病院図書室にも,所蔵しておくべき貴重な絵本だと感じました。

♪デジタル・アーカイブスの時代にあってこそ,紙の印刷物を複製し,後世に残してゆくことも,大切なことです。小学校時代に,絵本がいっぱい置いてある木の香りのする小さな図書室で,先生に読み聞かせてもらった昔話や童話のことを思い出しました。絵本には,記憶に残る色と匂いがあるのです。

♪第1巻に収載されている「舌切雀」は,福生市郷土資料館では,ド-トロミエルの訳述となっていますが,こちらものは,タムソンが翻訳したものでした。

『対訳日本昔噺集 JAPANESE FAIRY TALE SERIES 明治期の彩色縮緬絵本』(第1巻)(宮尾與男編 彩流社 2009)

  1. 桃太郎 MOMOTARO

(小さな桃の子) MOMOTARO OR LITTLE PEACHLING

  1. 舌切雀 THE TONGUE CUT SPARROW

(舌を切られた雀)THE TONGUE CUT SPARROW

  1. 猿蟹合戦 BATTLE OF THE MONKEY AND THE CRAB

(猿と蟹の戦い)BATTLE OF THE MONKEY & THE CRAB

  1. 花咲爺 THE OLD MAN WHO MADE THE DEAD TREES BLOSSOM

(枯れた木に花を咲かせたお爺さん)THE OLD MAN WHO MADE THE DEAD TREES BLOSSOM

  1. 勝々山 KACHI-KACHI MOUNTAIN

(カチカチ山)KACHI-KACHI MOUNTAI

  1. 鼠嫁入 THE MOUSE’S WEDDING

(ねずみの結婚式)THE MOUSE’S WEDDING

  1. 瘤取 THE OLD MAN & THE DEVILS

(お爺さんと瘤)THE OLD MAN & THE DEVILS

OLO MAN & THE DEVILS

A LONG time ago there was an old man who had a big lump on the right side of face. One day he went into the mountain to cut wood, when the rain began to pour and the wind to blow so very hard, that finding impossible to return home, and filled with fear, he took refuge in the hollow of an old tree.

・・・・

The old man replied, “I have had this lump many years and would not without good reason part with it; but you may have it, or an eye or my nose either if you wish”. So the devils laid hold of it, twisting and pulling, and took it off without giving him any pain, and put it away as a pledge that he would come back.

♪さらに,タムソンの文献を探っていると,タムソン夫妻の墓が,染井霊園にあることがわかりました24)25)。横濱に関係深い榊順次郎の墓(第47回)のある染井霊園に,タムソンの墓もあるとは思ってもいないことでした。

♪木下凞ひろむとヘボンの関係で,調べはじめた横濱26)27)が,染井霊園と繋がってきました。タムソンが亡くなったのは,大正4年(1915)のことですから,同じ年に,榊順次郎は,自家の墓を建てたことになります。

♪染井霊園の外人墓地には,ワイリックの墓があり,その独特な聖書の形をした墓標については,「江戸東京」(第66回第67回)のなかでも紹介しましたが,タムソンの墓石についても,現地調査しておきたいと思います。

♪平成22年(2010)の夏は,東京でも記録的に真夏日が続く厳しい夏でした。今日は,秋のお彼岸の中日。朝から激しく雨が降り,前線からの北風が入って,気温がぐっと下がり,一気に,秋らしくなってきました。秋というより肌寒いくらいです。久しぶりに,染井霊園内を散策してみようと思います。

参考文献

1) 「ヘボン書簡集」高谷道男編訳.岩波書店,1959.

2) 「ヘボン」高谷道男著.吉川弘文館,1986.(人物叢書 新装版)

3) 「ヘボン博士の愛した日本」杉田幸子著.改定新版.いのちのことば社2006.

4) 神奈川宿(街道を行く 東海道 3) pp.14-15.「週刊江戸」No.3 (2010年2月16日発行)通巻第3号,デアゴスティーニ・ジャパン.

5) 「企画展 東海道と神奈川宿」横浜市歴史博物館,1996.

6) 石川 潔:ドクトル・ヘボン神奈川宿での1169日.「明治学院大学キリスト教研究所紀要」第38号,pp.301-350.(2006)

7) 「企画展 江戸時代の横浜の姿 絵図・地誌などにみる」横浜市歴史博物館,1997.

8) 「絵地図・浮世絵にみる開港場・横浜の風景(横浜市歴史博物館 平成二十一年企画展)」横浜市歴史博物館,2009.(横浜開港150周年記念―Part 1)

9) 「瓦版・絵巻にみるペリー来航と横浜開港」横浜市歴史博物館,2009. (横浜開港150周年記念―Part 2)

10)「ドクトル・シモンズ」荒井保雄著.有隣堂,2004.

11)「市民グラフヨコハマ」No.31(特集 ヘボンと横浜)1979.

 第7章 仁術の医師 ヘボンの施療事業(大滝紀雄著)pp.31-35.

 第8章 ヘボンの鼓動を伝える横浜の二教会pp.36-39.

   ヘボンが帰国直前に建てた横浜指路教会(森田恭一郎著)

   日本最初のプロテスタント教会 横浜海岸教会(友野宏弥著)

12)「御開港横濱之全図でみる御開港横浜めぐり」(めぐりシリーズ 10)人文社.(基図「御開港横濱之全圖」安政六年[1859])

13)「横浜市歴史博物館特別展 横浜開港150周年記念 陸の道と海の道の交差点 -江戸時代の神奈川」横浜市歴史博物館,2009.

14)石川 潔:横濱居留地39番でのヘボン.「明治学院大学キリスト教研究所紀要」第39号,pp.247-290.(2006)

15)「図説横浜外国人居留地」横浜開港資料館編.有隣堂,2007.

16)「古き日本の瞥見 -Glimpses of Old Japan 1861-1866」マーガレット・バラ著.川久保とくお訳.有隣堂,1992.(有隣新書)

17)石川 潔:聖書和訳事業で活躍する『医師・ヘボン』.「明治学院大学キリスト教研究所紀要」第40号,pp.95-144.(2007)

18)中島耕二:宣教師デビット・タムソンの生涯 ―誕生から日本基督一致協会の創立までを中心として―.「明治学院大学キリスト教研究所紀要」第35号pp.225-275.(2003)

19)『築地の外国人住宅 -聖路加国際病院の付属外人住宅「ポラバ・バンガロ―」に関する調査報告―』.(中央区文化財調査報告書 第1集)中央区教育委員会,1992.

20)横浜―品川間汽車が開通(5月9日):「『横浜毎日新聞』が語る明治の横浜 第一集(三年~五年)」横浜開港資料館,1987.

21)『対訳日本昔噺集 JAPANESE FAIRY TALE SERIES 明治期の彩色縮緬絵本』(宮尾與男編)<第1巻> [1.桃太郎 2.舌切雀 3.猿蟹合戦 4.花咲爺 5.勝々山 6.鼠嫁入 7.瘤取](彩流社,2009)

22) 『対訳日本昔噺集 JAPANESE FAIRY TALE SERIES 明治期の彩色縮緬絵本』(宮尾與男編)<第2巻> [内 容:8.浦島 9.八頭の大蛇 10.松山鏡 11. 因幡の白兎 12.野干の手柄 13.海月 14.海幸彦山幸彦](彩流社,2009)

23)『対訳日本昔噺集 JAPANESE FAIRY TALE SERIES 明治期の彩色縮緬絵本』(宮尾與男編)<第3巻> [内 容:15.俵藤太 16.鉢かづき 17.竹箆太郎18.羅生門 19.大江山 20.養老瀧 21.文福茶釜](彩流社,2009)

24) 「来日西洋人名事典」武内 博編著.日外アソシエーツ,1983.

25)「キリスト教人名辞典」日本基督教団出版局,1986.

26)「写真集 明治の横浜・東京 残されていたガラス乾板から」岩崎与四郎育英会著作.神奈川新聞社/かなしん出版,1989.

27)「横浜と医学の歴史」三杉和章,杉田暉道 編.横浜市立大学一般教育委員会,1997.

(平成22年9月23日 秋彼岸の中日)(令和元年(2019)5月2日 追記)