31.ベルツを詠んだ水原秋櫻子句碑:豊川西明寺境内・草津温泉西の河原

♪水原秋櫻子がベルツを詠んだ句碑は、東京大学医学部構内にある「胸像をぬらす日本の花の雨」(東京大学医学部句碑)(改定版・第29回)のほかにも、各地にあることがわかりました。愛知県豊川市の西明寺境内と群馬県草津温泉西の河原の2か所です。(参考文献1,2,3


 

① 豊川市西明寺境内句碑 

菊にほふ國に大醫の名をとどむ

  場 所愛知県豊川市八幡町寺町7 西明寺境内のベルツ供養塔の傍

  建立年月:昭和44年(1969)11月14日除幕式

  主唱者:松井将(昭和大学医学部脳外科教授)・平松一郎

  建立者:豊川市(山本市長)七夕会(代表松井将)

♪昭和5年(1930)、三浦謹之助、入澤達吉らがベルツ供養塔をベルツの妻・花に所縁の豊川市の西明寺境内に建てています。その39年後の昭和44年(1969)11月14日には、ベルツを顕彰する水原秋櫻子の句碑が建てられました。除幕式には、ドイツからベルツの令孫トーマ(長男徳之助の子)(1923-1990)(注1)も出席されたそうです。さらに昭和46年(1971)12月20日には、ハット(長男徳之助の子)(1916-1972)が来日してベルツ家墓碑(徳之助家族)除幕式が挙行されています。(参考文献4 巻頭口絵

注1

ベルツ(1849-1913)ーーー荒井はつ(花)(1864-1937)

子供

ウタ(歌)(1893-1896)ーーートク(徳之助)(1889-1945)ー↓ー【妻ヘレーネ・ツエーマン】【妻マルタ・マウラー】

ハットは、トク(徳之助)とヘレーネ・ツエーマン(1888-1933)の子

トーマは、トク(徳之助)とマルタ・マウラー(1890-1973)の子

 

♪なお、豊川の御油(ごゆ)(旧東海道35番目の宿場)には、花の父・荒井熊吉の生家が営んでいた旅籠(戸田屋)の跡に「ベルツ花子実家跡」の案内板があるようです。

東海道御油海岸(絵葉書)

【参考】ベルツと花のドイツと日本の墓の場所(参考文献5)

日本の墓東京都台東区下谷法清寺

♪ベルツ花(本名・荒井はつ 改め花)は、昭和12年(1937)2月7日没後、荒井家の菩提樹の下谷法清寺(東京都台東区下谷1-8-22)葬られます。花自身が自らの戒名を決めて作っておいたお墓です。ベルツ(大正2年[1913]8月31日没)も分骨されて戒名がつけられています。(参考文献5 「下谷法清寺ーー花ベルツの菩提寺」pp.80-87)

済生院仁海慈航居士 大正二年八月三十一日 ハツ改花子夫(ベルツの分骨?)

紹徳院花心貞淑大姉 昭和十二年二月七日没 花・ベルツ(本人)

 

ドイツの墓(シュトットガルトのヴァルトフリードホーフ

♪ベルツがドイツで亡くなったのは、大正2年(1913)8月31日のことで、シュトットガルト(Stuttgart)のヴァルトフリードホーフ(Waldfriedfof)に葬られました。墓石には、花の名前(HANA BAELZ)も刻まれています。

Dr.EDWIN BAELZ

★13. JAN.1849 +31.AUG. 1913

HANA BAELZ

★20. FEBR. 1864 +7. FEBR. 1937

 

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② 草津温泉西の河原公園内)句碑

胸像はとわに日本の秋日和

場 所群馬県吾妻郡草津町西の河原公園

建立年月:昭和57年(1982)10月1日

主唱者:草津町・草津ベルツ協会注2

注2)草津ベルツ協会:「昭和三十六年に、草津とベルツ先生の出生地西独ビューティヒハイム市の間に、両者が協力してベルツ先生の遺徳を顕彰することを目処として発足、会長は市川善三郎」(参考文献4 「草津ベルツ協会」pp.215-218.)

草津温泉・西の河原(戦前絵葉書)

 

ベルツ記念館

♪草津温泉の西の河原には、ベルツ先生記念碑(注3)(昭和10年[1935]8月4日除幕式)、ベルツ・スクリバの胸像(昭和45年[1970]9月建立)が建っており、その傍に、水野秋櫻子の句碑(昭和57年(1982)10月1日建立)があります。

♪両博士の胸像は、東大構内にある胸像と同型のもので、戦時中に供出されることになったときに作られたコンクリート製の模型を複製したものだそうです。昭和35年(1960)、草津町の町長であった市川善三郎が東大から寄贈を受けて西常雄(武蔵野美術大学教授)によって昭和45年(1970)9月に制作されました。注4

注3) 「ベルツ先生記念碑」(石黒 忠悳題額 入澤達吉撰文 明治九年二月) 世話役:入澤達吉、藤浪剛一、高野六郎の三氏。

注4)東大のベルツ・スクリバの胸像は供出を免れ、胸像は、明治40年(1907)4月4日の創立当時のものです。(参考文献4 「ベルツ先生と、スクリバ先生の胸像建立」pp.219-220.)

♪ベルツは、明治9年(1876)6月の来日以来、温泉治療に興味を持って、伊香保、熱海、箱根などの温泉を調査して『日本鑛泉論』(東京大学医学部教授独逸醫學士別爾都氏著 明治13年[1880]7月)を著しています。

♪ベルツの草津温泉での宿は、「一井旅館」(現在のホテル一井)でした。「草津風土記」(一井旅館編)に収載されている「ベルツ博士と草津」(市川為雄著)によると、ベルツ(内科)と同僚のスクリバ(外科)が明治24年(1891)7月17日から8月15日まで「一井旅館」泉水にあった別荘(あずまや風の山荘)に泊まった記録が「明治廿四年第一月 宿泊人名簿 旅人宿 一井善三郎」に残っているようです。(参考文献6

上州草津温泉 旅館一井(絵葉書)

♪草津温泉とベルツとの関係は、鑛泉(温泉)研究と通じて深いものがあったようです。明治33年には草津に日本国籍を持つ長男徳之助の名義(「土地購入委任状」)(荒井ハツ後見人)(参考文献5 p.80)で土地を購入してサナトリウム(温泉研究所・療養所)を建設する計画もあったようです。

♪明治23年10月14日、15日の『ベルツの日記』(初版・濱邊正彦譯)(参考文献7)(文庫版・菅沼竜太郎訳)(参考文献8)には、次のような記載があります。

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明治二十三年

十月十四日(東京)

余に依り、草津近傍の白根山火口において発見せられた鹽酸(鐵、明礬)(注5)泉は卓越せる醫治効能を發揮する見込みである。余等は目下、該鑛泉を病院において試験して居るが、その結果は甚だ満足す可きものがある。

十月十五日(東京)

十三日、近藤[榮一]氏の世話で草津に五千七百坪の土地と鑛泉を購つた。

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注5)文庫本の『ベルツの日記』(上巻)p.153では、「酸性泉(鉄、みょうばん)」となっています。

♪さらに、晩年に、ベルツは東大に草津温泉の学術研究のための奨学金を寄附しています。草津町では、明治45年(1912)6月19日に内務大臣原敬 文部大臣長谷場純孝宛てに「草津温泉調査請願ノ件」を出しています。昭和10年(1935)ごろから、東大での温泉研究は、三沢敬善(物療内科教授)に引き継がれることになります。

♪三沢敬善は、ベルツの高温温泉法を「摂氏45-47度の熱い温泉に3分間づつ1日3-4回入浴する方法を【時間湯】」として紹介しています。その時間湯を行ったと思われる建物の外観を写した絵葉書がありました。

草津温泉(時間湯)熱の湯外部(絵葉書)

♪今回の改訂版の執筆でベルツと妻・花の菩提寺が台東区下谷の法清寺であることがわかったのですが、この法清寺は、趣味の合唱の練習場の近くにあり、いつもお寺前の路地を通っていたのです。なにか不思議な感じがしました。

♪また、各地に水原秋櫻子の句碑を建立した石橋長英(日本国際医学協会理事長・日独交流協会会長・獨協医科大学初代学長)と水原豊(秋櫻子)とは、一高、東京帝国大学医学部の同期(大正7年卒)であることもわかりました。同期生には、高野与己(素十)もいて、3人が三田定則教授が法医学教室に設けた血清化学講座に入っています。(参考文献9

 

参考文献

1)『秋櫻子句碑めぐり』(石橋ひかる 竹頭社 1969)

2)『定本秋櫻子句碑めぐり』(石橋ひかる 東京美術 1981)

3)『秋桜子句碑巡礼 ガイドブック』(久野 治著 鳥影社 1991)

4)『ベルツと草津温泉』(市川善三郎著 あさを社 1981)

5)『[花・ベルツ]への旅』(講談社 眞寿美・シュミット=村木著 1993)「下谷法清寺ーー花・ベルツの菩提寺」pp.80-87.

6)「ベルツ博士と草津」(市川為雄著):『ベルツと草津温泉』(市川善三郎著 あさを社 1981. pp.111-124.の「ベルツ先生と『草津風土記』」に収録)

7)『ベルツの「日記」』(濱邊正彦譯 岩波書店 1939)

8)『ベルツの日記』(上)(下)【文庫版】(トク・ベルツ編 菅沼竜太郎訳 岩波文庫 青426-1 青426-2 岩波書店 1979.)

9)『水原秋桜子と私』(石橋長英著 制作:デー・エム・ベー・ジャパン 1972.)

 

 

(平成14年6月25日 記す)(平成29年9月3日 追記)