70. 東京都染井霊園:ローダスカ・ワイリックのお墓 :Gravestone of Loduska J. Wirick (1856-1914) She is buried in Somei Cemetery, Toshima-ku, Tokyo.


 

染井霊園:東京都豊島区駒込5-5-1

♪染井霊園を正面入口である染井門(駒込駅方面口)から入って,霊園事務所横の墓道を左折して巣鴨門方面に向かうと,染井吉野桜で囲まれた休憩広場があります。

♪この休憩広場には,ベンチが置かれ,春のお花見のシーズンになるとシートが敷かれて,宴会が行なわれます。また,老人会によるゲートボールも,この休憩広場で行なわれます。散歩した今日は,さわやかな秋の日差しが葉陰をつくり,お年寄りがベンチでおしゃべりに興じていました。

♪休憩広場の横を通って,ややしばらく行くと,左側に外人墓地の一角があります。ここにも,染井吉野桜の大木が何本かあり,幹から枝が血管のように伸びています。

♪この外人墓地の辺りを散策していたら,平成13年(2001)初秋に染井霊園によって建てられた「東洋のナイチンゲール ローダスカ・ワイリック 永眠の地」の標柱と説明板があることに気がつきました。お墓(石碑)の石柱の部分に「ローダスカ・ワイリック先生之碑」,台座の部分に「WIRICK」と刻まれています。

♪墓石の形にもいろいろありますが,ローダスカ・ワイリックのお墓は,とくに美しい形をしています。教会の説教台の上に聖書を開いて置いた形となっています。「ローダスカ・ワイリック先生之碑」の文字の上には,菊の紋章のようなものも彫られています。西洋的な概観の中に日本的なデザインがよく調和しています。

 ♪ローダスカ・ワイリック(Loduska J. Wirick)(1856-1914)のお墓の横の墓道に説明板が建てられています。記録のために,その全文を書き写しておきます。

 ロダスカ・ワイリック(1856-1914)

 アメリカ合衆国オハイオ州に生まれ,1890年(明治23)ドレイク大学を苦学して卒業。直ちに宣教師として来日,5年間にわたり伝道活動に携わり,一時帰国。翌1896年再び来日し,教会を開いて伝道に努める一方,学習院や府立四中(現在の都立戸山高校)等で英語を教えたり,多くの孤児や捨て子を自宅に引き取って養育した。また,当時偏見の強かったハンセン病施設で患者の世話をしたり,四ッ谷鮫河橋スラム街での奉仕活動にも尽した。日露戦争(1904-5)が始まると看護婦と医師の資格を有するワイリックは戸山の陸軍病院に赴き病床から病床を回って負傷兵を励まし,献身的な看護に当たった。
 いつしか,「東洋のナイチンゲール」と呼ばれるようになり,日本政府や東京府からも表彰された。人類愛と奉仕活動に尽くした信念の人ロダスカ・ワイリックは1914年(大正3)4月30日東京赤坂の病院で死去。享年五七歳。ここ染井霊園で永遠の眠りに就く。

 ♪この説明板の中に「都立戸山高校」「戸山の陸軍病院」が出てきます。昼休みの散歩をかねて,都立戸山公園には,四季の花々を撮影しによく出かけますが,今後は,ワイリックの足跡を訪ねて,国立国際医療センター(旧陸軍軍医学校跡地:都立戸山公園箱根山地区)の周辺も調査したいと思います。

(平成14年11月7日 記)(平成22年10月1日 リンク訂正・英文タイトル追加)(令和元年8月8日 追記)