57. 盛岡行 (2)盛岡『啄木新婚の家』と故郷・好摩

啄木新婚の家

場 所:盛岡市中央通三丁目17―18
電 話:019―624―2193

 

♪石川啄木が、婚約者の堀合節子と帷子小路(かたびらこうじ)八番戸(現在の中央通三丁目)で新婚生活を送ったのは、明治38年(1905)6月4日から24日までの3週間のことでした。

♪結婚式は、5月30日に行うはずでしたが、啄木は処女詩集『あこがれ』を東京で出版して帰郷する途中に、仙台で仙台医学専門学校(のちの東北大学医学部)に在学中の郷友の猪狩見竜、小林茂雄に合い、結婚式には帰りませんでした。

東北帝国大学医学部正門(絵葉書)

♪啄木との結婚に反対する友人たちに節子は、そのときの気持を手紙のなかで、次のように述べています。

「吾はあく迄愛の永遠性なると云ふ事を信じ度候」

♪級友上野宏一の媒酌による「花婿のいない結婚式」が行われることになりました。

♪この明治38年(1905)1月には、父一禎(いつてい)が宗費滞納で曹洞宗(寶徳寺)の住職を免じられる問題がおき、帷子小路の新居には、妻節子のほかに、両親と妹光子が一緒に住むことになります。

盛岡渋民村寶徳寺

♪夫啄木の家族と住むことからくる節子の心労は、新婚当初より、大変なものだったに違いありません。

♪実は、啄木は、新婚生活を東京の本郷・駒込吉祥寺(きちじょうじ)に近接した貸家で送る予定でした。その場所は、駒込神明町442番地(現在の東京都文京区本駒込三丁目の天祖神社[神明社]の近く)であったといわれています1)。しかし、この駒込神明町の新居については、東京での新婚生活を切望していた啄木の嘘であったともいわれています2)。

♪駒込吉祥寺は、啄木の母カツの兄・仏禎(ぶつてい)=対月(たいげつ)が、5年間に亘って役僧を勤めた寺で、現在、その境内には、経蔵が残っています。

駒込吉祥寺山門(堀江幸司撮影)

 

駒込吉祥寺の鐘楼と經堂(堀江幸司撮影)
駒込吉祥寺經堂(堀江幸司撮影)

♪啄木は、あこがれの新天地、本郷・駒込神明町で新婚生活をはじめながら、詩壇への道を歩みたかったのかもしれせん。それが叶わず、故郷に帰り、好摩(こうま)の停車場に下り立った啄木の気持ちはどんなだったのでしょうか。

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♪好摩駅構内にあるという啄木の歌碑を探しに行きました。好摩駅は、盛岡駅から「いわて銀河鉄道」(盛岡駅ーー目時駅)に乗って6つ目の駅です。

盛岡(もりおか)

青山(あおやま)

厨川(くりやがわ)

巣子(すご)

滝沢(たきざわ)

渋民(しぶたに)

好摩(こうま)

岩手川口(いわてかわぐち)

いわて沼宮内(ぬまくない)

御堂(みどう)

奥中山高原(おくなかやまこうげん)

小繋(こつなぎ)

小鳥谷(こずや)

一戸(いちのへ)

二戸(にのへ)

斗米(とまい)

金田一温泉(きんたいちおんせん)

目時(めとき)

 

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♪好摩の駅舎は、昔ながらの雰囲気を残す駅舎で、待合室には、ストーブが置かれ、駅員さんも、一人しかいません。駅前には、古びた駅前食堂がひとつあり、赤い郵便ポストと一台の客待ちのタクシーが印象的でした。

好摩駅前(平成21年3月23日 堀江幸司撮影)(平成23年の東日本大震災後、この建物は取り壊され、現在は新駅舎になっています)

♪駅員さんに、好摩の駅にあるはずの、啄木の歌碑についてたずねてみました。改札口を入った駅舎際(構内)にあることを、とても親切に教えてくださいました。石に刻んだものではなく、木に書いたものでした。

場所:岩手県盛岡市好摩字上山2-14 好摩駅構内

建立:昭和29年4月(木製)

 

啄 木

露ふかき好摩の原の

停車場の

朝の虫こそすずろなりけれ

 

参考文献

1)「石川啄木の誕生と駒込(文京区)」:ホームページ:

2)昆 豊著:『警世詩人 石川啄木』新典社、1986.

3)『啄木文学碑のすべて』(株式会社白ゆり学習社出版部編 1986)

(平成18年5月20日 記)(平成30年9月11日 追記)