55. 啄木、入院中の歌より

♪啄木は、入院中に、いろいろな歌を創っています。当時の看護婦、回診してくる医者の様子、家族のこと、自分のからだのことなど、薄暗い病室の寝台の上で、経済的な心配をしながら、歌っています。

♪啄木は、大の愛煙家だったようですが、病院での小さな自由のひとつは、病室の窓にもたれて、煙草を吸うことだったようです。その気持ちも、歌っています。

♪歌のなかに、寝台(ねだい)という言葉が使われています。狭い日本家屋に住んでいた啄木にとっては、寝台の上が、一時的ではあったにしろ、自分に居場所ができたように感じたのかもしれません。

♪病院の夜。それは、夜明けを待つ、長い時間です。西洋的な寝台の上で、ふくれた腹を撫でながら、母と妻子のこと。経済的なこと。創作活動のこと。それらを、思い悩みながら、生活の糧のひとつとして、必死で歌を創っていたのかもしれません。

♪当時の内科病室は、現在の竜岡門(当時は南新門)を入って、4つ角を過ぎた右手にありました。中央道路を挟んで前には、運動場が広がっていました。深々とした夜には、病棟の廊下に灯る電球の光を見て、眠れぬ夜を過ごしたのではないでしょうか。

石川啄木が入院していた当時の東京帝国大学構内(出典:「東京帝国大学一覧 明治42年から明治43年」)(国立国会図書館デジタルコレクション
東京帝国大学運動場
明治末の赤門

 

重い荷を下ろしたやうな
気持なりき、
この寝台(ねだい)の上に来ていねしとき。

病院に入りて初めての夜といふに
すぐ寝入りしが、
物足らぬかな。

晴れし日のかなしみの一つ!
病室の窓にもたれて
煙草を味ふ。

ふくれたる腹を撫でつつ、
病院の寝台に、ひとり、
かなしみてあり。

目をさませば、からだ痛くて
動かれず。
泣きたくなりて夜明くるを待つ。

病院に来て、
妻や子をいつくしむ
まことの我にかへりけるかな。

(平成17年5月21日記)(平成30年8月30日 追記)

◆◆

♪入院生活中の啄木の心配事は、経済的のことのほかに、妻と母のいさかいが、常に頭の中にあったようです。寝台の上に、自分の身の置きどころを見い出しながらも、いまごろ、妻と母は、どのように過ごしているか、気掛かりでたまらなかったようです。

 

もうお前の心底をよく見届(みとど)けたと、
夢に母来て
泣いてゆきしかな。

病院に来て、
妻や子をいつくしむ
まことの我(われ)にかへりけるかな。

解けがたき
不和(ふわ)のあひだに身を処(しょ)して、
ひとりかなしく今日(けふ)も怒(いか)れり。

 

♪また、入院中は、看護婦や医者の態度やひとことが、気にかかるものです。からだの痛みにたえながら、啄木は、ひとり、長い時間を過ごしながら、回診にくる医者になんて言ってやろうか、考えてもいたようです。

 

そんならば生命(いのち)が欲(ほ)しくないのかと、
医者に言はれて、
だまりし心!

脉(みゃく)をとる看護婦(かんごふ)の手の、
あたたかき日あり、
つめたく堅(かた)き日もあり。

ぢつとして寝(ね)ていらつしゃいと
子供(こども)にでもいふがごとくに
医者のいふ日かな。

廻診(くわいしん)の医者の遅(おそ)さよ!
痛(いた)みある胸に手をおきて
かたく眼をとづ。

 

(平成17年12月23日 記)(平成30年8月30日 追記)