38. 染井霊園:榊淑の墓

 

注)現在、榊家、岡田家の墓域は改修され、榊俶、および岡田和一郎の顕彰碑はありません。

Googleマイマップ 都立染井霊園:医家墓所案内

参考文献

(1)染井霊園:医家の名墓を探る① 坪井信道・坪井信良・緒方正規.医学図書館 1995:42(3):338-346.

(2)染井霊園:医家の名簿を探る② 榊俶・田口和美.医学図書館 1996:43(3):361-368.

 

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♪染井霊園は、JR駒込駅かJR巣鴨駅から歩いて、15分程の距離にある都立霊園です。同じく都立霊園でも、谷中霊園、青山霊園と比べると、規模が小さく、都心とは思われぬ閑静な場所で、その周辺は、染井吉野桜の発祥地としても、知られています。

染井霊園の染井吉野桜:長池跡
雪の染井吉野桜

♪この染井霊園には、著名人のお墓も多くあり、明治期に、東京帝国大学医科大学を卒業して、各教室の初代教授となった方や、江戸時代に活躍した蘭学者なども、眠っています。

♪その方々の墓所を訪ねると、顕彰碑などが建ち、また、墓石には、墓誌が刻まれています。医史学的にも、記録しておいた方がよいようにも思われ、折を見て、お参りさせていただいています。

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♪榊淑(さかき・はじめ 1857-1897)は、東京大学医学部の精神病学講座の初代教授です。墓は、染井霊園にあります。緒方正規(おがた・まさのり 1853-1919)(東京大学医学部衛生学初代教授)の墓所の隣です。榊家と緒方家は姻戚関係にあります。

榊 俶

♪榊俶の墓所へは、染井霊園の染井通りにつながる正門から入って左手の巣鴨の中山道側へ抜ける墓道を進みます。しばらく行くと右手に二葉亭四迷のお墓の案内標注があります。この標注のある細い墓道を奥へ進むと、右手奥に、榊家の墓域があります。

榊家の墓所
榊俶の墓石

 

没年月日:明治30年(1897)2月6日(41歳)
墓石の位置:1種イ5号8側
正面:東京帝國医科大學教従五位医學博士榊俶墓
側面:(右側面)高樹院顕光徳俶睿居士
:(左側面)明治三十年二月六日没
享年四十一

 

♪榊淑は、明治20年(1887)に、世上をわかせた相馬疑獄事件において、相馬誠胤(そうま・ともたね)の精神鑑定を行ない、ベルツがその鑑定に同意しています。

♪ここにも、ベルツがでてきます。その鑑定の診断書には、記憶力減退・感情遅鈍・不眠・幻聴・暴行などの症状があげられ、「時発性躁暴狂」と診断されたとあります。

 

(平成14年7月1日 記)(令和4年10月2日 図を追加)

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♪平成25年(2013)3月30日(土)にシソーラス研究会では「医史跡散歩」を兼ねたお花見会を開催しました。JR駒込駅前の「染井吉野桜記念公園」に集合。森鴎外も歩いた「染井通り」周辺の染井吉野桜の名所を回り,染井霊園内に点在する医家のお墓を訪ねました。長池跡の染井吉野桜の古木の下で,お花見をしました。

♪三上参次先生の墓所の前の墓道を入り,二葉亭四迷のお墓をお参りしたのち,榊俶先生の墓所に向いました。緒方正規先生の墓所の隣です。榊家の墓所には,以前,三基の墓石があったのですが,墓域が整理されていました。榊綽先生と榊俶先生の墓石がなくなり,「榊家之墓」の墓石のみとなっていました。「榊家之墓」には,九州帝国大学医科大学・精神医学教授を務めた榊保三郎先生が葬られています。

♪岡田和一郎先生の墓所に向いました。墓域にあった雑木などが取り払われ,きれいに整備されていました。(注)

(平成25年4月25日 記す)

(注)岡田和一郎の墓所は現在、改葬されています。(平成29年11月6日 追記)

 

(令和4年10月2日 追記)