36. 京都に水原秋桜子の句碑を訪ねる:玉樹寺に向かう(2)

♪賀川玄悦の顕彰碑(日本近代産科学のみなもと)の碑文(宗田一撰)を記録のために写しておくことにしました。

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日本近代産科学のみなもと

ここ玉樹寺のひがし一貫町に 十八世紀の名医 賀川玄悦(字は子玄一七〇〇 - 一七七七)が住んでいた

玄悦は あらゆる権威にとらわれず 自分の目でたしかめる実証精神から それまで信じられていた母体のなかの胎児の位置が誤っていることを知り その正しい位置(上臀下首)を はじめて発見した またあふれるばかりのヒューマニティから 難産で苦しむ母体を救う方法を発明した

これらは日本の医学が世界に誇る業績の一つである

賀川一門は 各地で多くの名医を生み母子ともに安全に救う方法を完成して日本の産科学の発展に大きく貢献した

玄悦の没後二百年にあたり 墓域の修復をおこなうとともに 賀川一門の偉業をたたえるため ここに碑をたてて記念する

一九七七年九月十四日 賀川玄悦先生没後二百年記念顕彰会

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[裏 面]

賀川玄悦先生没後二百年記念顕彰会

京都産婦人科医会

近畿産科婦人科学会

日本産科婦人科学会

日本母性保護医協会

日本医師会

日本医史学会

京都府医師会

徳島県医師会

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♪玉樹寺を辞して、山門脇の潜り戸から外に出ました。山門の写真を撮らせていただいたのですが、山門の右手の塀際の角に「賀川玄悦先生之墓所」の石柱が建てられていることに気付きました。

♪幕末には、壬生寺周辺では、新撰組や浪士たちが駆け回り、西寺町界隈でも切り合いが行われていたのかもしれません。現在の木屋町通に沿った高瀬川附近で遭難したという大村益次郎や佐久間象山も、このあたりを歩いていたのだろうか。鴨川や高瀬川に映る月の光りは、どんなにか澄んで見えたことであろう。などと、幕末の光景を想像しながら、四条通の方へ向かって歩いてみることにしました。

壬生寺

木屋町通

♪四条通の四条烏丸(からすま)周辺では、ちょうど祇園祭の山鉾巡行の準備が進められているところで、随分、人や車もでていました。人出をかき分けながら「イノダコーヒー本店」(珈琲店)まで行き、休憩することにしました。外観といい内装といい、なかなか趣のある店構えで、わたしの好みにぴったりでした。「アラビアの真珠」のオリジナル・ブレンドが用意されており、美味しくいただきました。京都に詳しい関さん(昭和)からは、清水坂にある清水支店を勧められていたのですが、こちらは、次の機会にどなたかと行きたいと思っています。

祇園祭

イノダコーヒー本店:京都市中京区堺町通三条下ル道佑町(どうゆうちょう)140

電 話:075-221-0507

♪イノダコーヒーでお茶をしたあと、予約をしてあった「French o. mo. ya」で食事をすることにしました。明治末期に建てられたという京町家の母屋がレストランになっており、中庭の様子が、大阪の適塾を思い出させました。40、50代のマダムがよく利用していると観光ガイドブックには紹介されていたのですが、結構、若者も来ていました。和食器にクラシック・スタイルのフランス料理が盛り付けられており、味もよく、ウエイトレスさん達が、洗練されており、美人揃いでした。

French o. mo. ya」:京都市中京区東洞院六角(ろっかく)通下ル御射山町(みさやまちょう)283

電 話:075-241-7500

♪京都には、今回、訪ねた光悦寺と玉樹寺のほかにも、水原秋桜子の句碑はあるようです。また、山桜の季節にでも中山道経由で京都を訪れ、「江戸東京」の医史跡めぐりを続けたいと思います。

(平成15年8月6日 記)(平成29年11月1日 追記)