34. 京都に水原秋桜子の句碑を訪ねる:光悦寺に向かう(3)

♪光悦寺は、北大路バスターミナルの「Eのりば」(光悦寺・玄琢・西賀茂方面)の北1号系統(佛教大学・玄琢[げんたく])に乗って、鷹峯源光庵前(たかがみね・げんこうあんまえ)で下車。鷹峯小学校の前にありました。

京都市交通局

♪光悦寺の車道に面した入口から山門へと続く石畳の参道の両側には、楓の並木がトンネル道となるように植えられ、初夏の若葉とともに、秋の紅葉の時期にはさぞかし綺麗だろうと思いました。お寺に行って感動するというのもおかしな話しですが、光悦寺には、一般の伽藍が点在するお寺とは違い、庭園や鐘楼を持つ山寺という風情を感じました。

♪入口には、京都市によって高札風の説明板が立てられていました。


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光悦寺

大虚山(だいきょざん)と号する日蓮宗の寺である。当地は、元和元年(1615)徳川家康よりこの地を与えられた本阿弥光悦(ほんなみこうえつ)が一族、工匠等と移り住み、芸術郷を築いたところである。
光悦は、刀剣鑑定のほか、書、陶芸、絵画、蒔絵などにも優れ、芸術指導者としても活躍した。
当寺は、本阿弥家の位牌堂を光悦没後に、本法寺(ほんぽうじ)の日慈(にちじ)上人を開山に請じて寺に改めたものである。

京都市
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♪境内に入って、まず、眼についたのが鐘楼でした。屋根は茅葺きで、このような鐘楼は、いままで、見たことがありませんでした。茅葺きの頂上には、瓦屋根も合わせた形となっていました。いまでは、大変に珍しい形の鐘楼と思われ、手入れの行き届いた庭園とよく調和していました。

♪すこし境内を進むと、大虚庵の茶席があります。日本を代表する光悦垣(こうえつがき)で囲まれていました。割竹を菱形に組んであり、茶席からも透かして向こうの様子が見られるようになっています。光悦垣の渋い竹の色と紅葉の彩りを想像して、なんと色彩と造形美に溢れたお寺なのだと思いました。

♪水原秋桜子の句碑は、大虚庵の茶席の前の露地を抜けた先の、交差点の樹木の下に置かれていました。句碑の横には、「チャアレス エル 布利耶 碑 MONUMENT OF MR.CHARLES L.FREER」と刻まれた大きな石碑がありました。

♪水原秋桜子の句碑のまわりは、葉で覆われ、注意して見ないと見過ごしてしまうほど小さな石に句が刻まれていました。

「紅葉せりつらぬき立てる松の幹 秋桜子」(裏面:「昭和四十年秋向日葵建立」)

碑 石:高さ68cm、巾70cm・67cm、厚さ25cm(鞍馬の真真石)
ブロンズ:縦29cm、横30cm(東京芸大・高原四郎氏製作)

♪境内には、観光客の姿は、ほとんど見当たりませんでした。ゆっくりした気分で、光悦翁墓所をお参りさせていただいたあと、庭園のはずれの茶席の縁側から、野村さんと、鷹峰三山(北山の山並み)を望んでいると、川のせせらぎが聞こえてきました。あいにく、川の方への道は、閉鎖されていて下りていくことはできませんでした。

♪幕末の京都で聞く山寺の鐘楼や川のせせらぎの音は、どんなものであったのでしょうか。争乱のなかにも、いまよりは、もっと澄んだ空気のなかで、人それぞれの思いのなかに、沁み入るような音であったように思いました。

♪水原秋桜子の句碑が、このような静かな趣のある光悦寺の庭園の一角に置かれている幸せを感じました。

(平成15年7月31日 記)(平成29年10月25日 追記)