20. 小石川植物園内:旧東京医学校本館・史料編纂掛旧庁舎(現在の東京大学総合研究博物館小石川分館)

小石川植物園

場 所:〒112-0001 東京都文京区白山3-7-1(都営地下鉄三田線 白山駅下車 A1 出口)

地 図:本郷界隈

♪小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)の中に、旧東京医学校本館が遺構(重要文化財)として残っています。何年か前のシソ研のお花見の会に参加された方は、ご存じかも知れません。

1986年4月27日撮影(堀江幸司)
旧東京医学校本館遺構(重要文化財):東京大学総合研究博物館小石川分館(2002年頃撮影)

 

戦前の小石川植物園(絵葉書)

♪この本館は、明治9年(1876)に東京医学校が本郷元冨士町に移された時に建てられたもので、森鴎外が龍岡町の下宿屋上條から鐵門を通して見ていた建物です。木造建築の西洋風の建物で、四面に時計を配した象徴的な搭屋を持ち「時計台」ともいわれていたそうです。

本郷の東京医学校本館(初期の医学部時代)(時計台)(明治初年)

♪東京医学校の中には、3室(80坪)からなる医学部文庫が設けられ、7,781部の医学洋書を収蔵していたそうです。森鴎外も、それらの洋書を使って勉強したのかもしれません。

♪旧東京医学校本館の写真が、北里大学医学図書館の宇野彰男さん(宇野朗、三上参次の曾孫)に贈っていただいた『明治時代の歴史学界 三上参次懐旧談』(吉川弘文館 1991)のカバー写真になっていました。

「明治時代の歴史学界 三上参次懐旧談」(三上参次著 吉川弘文館 1991)

明治44年(1911)に、この東京医学校本館は2つに分割されて、前半部が1月14日から7月20日までの期間をかけて赤門脇の今の経済学部のある場所へ移され、後半部は神田錦町(一ツ橋)に移されて学士会館となりました。この赤門脇に移された部分に史料編纂掛が入ることになります。その事務主任(史料編纂所長にあたる)が三上参次(みかみ・さんじ)(東京帝國大學文科大學教授)(1865-1939)でした。

史料編纂掛庁舎のあと営繕課、施設部としても使用されましたが、昭和40年(1965)用途廃止となり、昭和44年(1969)3月に小石川植物園の現在地に復元・移築され、翌昭和45年(1970)重要文化財の指定を受けています。

♪三宅秀の事蹟をインターネットで調べていてわかったのですが、旧東京医学校本館が、平成13年(2001)11月12日に「東京大学総合研究博物館小石川分館」としてリニューアルされ、一般公開されていることに気づきました。そういえば、昨年、小石川植物園に写真を撮りに行ったときに、工事中だったのは、そのための工事だった訳です。

東京大学総合研究博物館小石川分館(建築ミュージアム)

♪この「東京大学総合研究博物館小石川分館」の本館にあたる「東京大学総合研究博物館」が本郷キャンパス内にあるのですが、現在「新規収蔵展示・三宅コレクション」と題した展示会が開催され、三宅秀ほか一族ゆかりの建築写真・科学物品などが展示されているようです。会期は9月1日までとなっています。問い合わせたところ月曜日が休館で、無料で見学できるとのことでした。(10:00-17:00)。

♪宇野さんから贈っていただいた『明治時代の歴史学界 三上参次懐旧談』をきっかけとして、三上参次と三宅秀が繋がってきました。日本橋・榛原の中村明男氏(三宅秀の曾孫)を誘って、展示会に行ってこようと思っています。

(平成14年8月9日 記)(平成29年7月24日 記)(令和6年1月27日 追記)