17. 「相良知安先生記念碑」 池之端門崖上から新病棟前に移設

 

Google My Map 「江戸東京医史学散歩」:東京大学本郷キャンパス医史跡案内

 

「相良知安先生記念碑」の場所の移動

建立:昭和10年3月 池之端門内を入った小高い崖上(石黒忠悳題額 入澤達吉撰文)

移設:平成19年3月 龍岡門の右手に復元された鉄門を入った右手、新病棟の前。

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♪本郷台と上野は坂で、神田とは橋でつながっています。本郷・東京大学周辺や順天堂医院界隈を歩いていると、その感じがよくわかります。

御茶ノ水橋とニコライ堂
神田川とニコライ堂(絵葉書)
神田川の崖とニコライ堂(絵葉書)

♪最近は、交通機関が発達し、開発も進んで、多くの川が暗渠となりましたが、もともと江戸には、たくさんの小川が流れていました。もちろん木々もたくさんありました。わたしが、小学生の頃(昭和30年代)まで、駒込周辺にも畑がありましたし、庭から土手を降りて、山手線(当時、省線)の線路際まで行くこともできました。一日に運行される電車の本数も、数えるほどでした。

♪都立染井霊園付近に端を発し、上野不忍池まで続いた藍染川(あいぞめがわ)も暗渠となりました。この不忍池がある上野山一帯は、明治のはじめに、相良知安(さがら・ともやす[ちあん] 1836-1906 ドイツ医学制度制定の功績者)と、その下で働いた石黒忠悳(いしぐろ・ただのり 1845-1941 陸軍軍医)によって大学東校(東京大学医学部の前身)となるところでしたが、ボード ウァン(Bauduin, Anthonius, F. 1820-1885 オランダの陸軍軍医)の意見によって公園として残されることになりました。そして、東京大学医学部は、現在の本郷の地(大聖寺藩の上屋敷跡)におかれることになったのです。

♪東京大学の龍岡門を出て左へ折れると無縁坂へでます。森鴎外の『雁』に登場する無縁坂です。雨の降るまだ昔の面影を残す無縁坂を、ぶらぶら降りてみます。不忍通りに抜ける手前の路地を左に曲がると、東京大学池之端門があります。この門を入った前の小高い丘の上に「相良知安先生記念碑」(昭和10年<1935>3月入澤達吉選)がありました。題額は石黒忠悳によります。記念碑のまわりは、落葉が堆積しており、古いものが大切にされていない様子です。

♪この「相良知安先生記念碑」を見つけるのには、大変、苦労しました。構内中を探しまわり、池之端門の看護婦寮があった崖上のフェンスの際で発見しました。赤門から入って探していたのですが、まさしく、外れにありました。(参考文献

相良知安先生記念碑(池之端門崖上)

♪かつては、この「相良知安先生記念碑」がある辺りからは、上野の森がよく見えたのでしょうが、いまでは、ビルばかりが目に入ります。相良知安先生は、この光景をどのように見ているのでしょか?

(平成14年6月30日 記)
(平成19年8月9日 訂正)

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池之端門(裏門)の崖上にあった当時の「相良知安先生記念碑」画面の右手遠景に上野五重塔がみえる。写真は昭和18年当時。
上野の塔(絵葉書)
裏門(現在の池之端門)門を入って左手の崖上に「相良知安先生記念碑」があった。写真は昭和18年当時。

 

平成19年3月移設

♪この記念碑は、平成19年3月に、医学部の創立150年を記念して再現された鉄門を入った右手奥に移設されています。新病棟の入り口の車道を挟んだ隅っこです。近くには、ベルツの庭石も置かれています。

 

 

相良知安先生記念碑の説明板(平成19年設置)
相良知安先生記念碑前の休憩コーナー
相良知安先生記念碑
ベルツの石の説明板

 

新病棟前の「ベルツの石」(画面手前)と「相良知安先生記念碑」(画面奥)

(平成29年6月21日 追記)

 

参考文献

堀江幸司 「相良知安先生記念碑」と「ボードワン博士像」-東京医学校と上野恩賜公園
「医学図書館」1988;35(3):184-191.