11. 続・本郷東京大学構内:高島秋帆墓からベルツ・スクリバ胸像へ向かう

地図(Googe My Map) 本郷界隈:医史跡案内

♪また、ベルツ・スクリバの胸像を見に行ってきました。今回も地下鉄南北線で「東大前」で下車し、直接ベルツ・スクリバの胸像に向かう予定でした。

♪「東大前」で下車したまではよかったのですが、高崎屋酒店(文京区向丘1-1-17)が目に入り、ここにあったという追分一里塚の石碑が気になりました。高崎屋は江戸時代から続く老舗で、現金安売りで繁昌した酒店です。両替商もしたそうですが、現在の建物に昔の面影はありません。

♪ここは、日本橋を起点として中山道の一里目(約4キロ)にあたり、日光御成道・旧岩槻街道との分岐点で、かつては榎(えのき)がありました。石碑が置かれ旅の安全が祈られたといいます。

♪その石碑は、今ではここにはなく、大円寺(だいえんじ)境内(文京区向丘1-11-3)に移されています。大円寺は高島秋帆(たかしま・しゅうはん 1798-1866 幕末の砲術家)の墓があることで有名です。

高島秋帆の墓・斎藤緑雨の墓の案内板

 

高島秋帆の墓


♪高崎屋の前から中山道を大円寺に向かったのですが、思いのほか距離がありました。中山書店の前を通り、もうすぐ白山上の交差点の近くに大円寺はありました。境内にはシーボルトにも関係がある紫陽花が咲き乱れていました。

高島秋帆の墓に続く墓道


♪大円寺で本郷・追分一里塚の石碑を確認したあと、あらためて、東京大学構内に向かいました。ベルツ・スクリバの胸像は、その説明版(石版)によると1907年4月4日に建てられたとあります。

ベルツ・スクリバ胸像の説明板(石板)

東京大学名誉教師ベルツ先生(在職1876-1902)同スクリバ先生(在職1881-1901)は本学部創始のころ20年以上にわたってそれぞれ内科学外科学を教授指導し、わが国近代医学の真の基礎を築いた恩人である。この碑は両先生の功績を記念するため明治40年4月4日(1907)建設せられたが、このたび医学部総合中央館の新築にともなって昭和36年11月3日(1961)原位置の北方60メートルのこの地点に移した。 東京大学医学部

♪ベルツ(Baelz, Erwin von 1849-1913)は、ドイツの医者で、1876年に招かれて来日し、東京医学校、東京大学医学部、帝国大学医科大学の教師となり、生理学、病理学、内科学などを講じました。1902年まで在職し、その後、名誉教師となり、1905年に帰国しました。つまり、今年(2002)は、ベルツの退職後100年ということになります。

東京大学本郷キャンパス内のベルツ・スクリバの胸像
ベルツの胸像

 

♪胸像の横に、「秋桜子」の句碑が建っていました。どうして、ここに「秋桜子」の歌碑があるのか、板橋瑞夫さん(シソ研会長)はご存じでしょうか?調査を続けたいと思います。

水原秋桜子の歌碑


♪帰りは、龍岡門を出て、本郷通りにもどり文光堂の前を通って、「東大赤門前」から都バスで駒込にもどりました。 

 

(平成14年6月16日 記)(平成29年5月30日 訂正・追加)